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正しい感情

2022.10.02

きょうは、トイレ掃除とベランダの熟れすぎたゴーヤの処理をした。逆に言うと、それ以外何もしていない。

スプリンターズステークス

僕が買った馬は、3着、5着、7着、14着。惨敗。

情熱大陸

きょうは、木下龍也さんの情熱大陸。
僕がもう少し若い頃に木下さんが今のような活躍ぶりだったら、たぶん嫉妬や羨望や自虐や悔しさなんかのさまざまな感情が押し寄せて、すごかっただろうと思う。
僕が老いたということもあるだろうが、素直に木下さんの短歌も活動もすごいと思っていて、作風も好きなので、全然負の感情が湧かない。最近は、自分の持っている才能にしては、よくやっているほうだと思っているからだと思う。
でも同世代で同時代の歌人は、この木下さんの活躍ぶりを、無理やり自分とは別枠みたいな捉えかたをしてごまかさずに、きちんと嫉妬するべきだ。それが正しい感情だと思う。

きょう作った短歌

これは、ずっと前に書いた「old boy」という小説に対して、どなただったかに「エピローグは蛇足」みたいな評をいただいたときに思ったこと。
でも「蛇足だ」と感じさせたのであれば、そうではない構成とかも考えられたのかも。
先日、天国ななおさんに「久しぶりに読んだら、面白かった」ってわざわざ言ってもらえて、うれしかった。
天国さんは近しい人なので「ちやほや度」は低いんだけど「わざわざ」というところで、少しちやほや度が上がる。
しなくていいことをさせるのが「作品の力」だ、と思っているからだ。

これは「最近になって気づいた」というのが言いたいことなのだ。そんな当たり前のことにも最近まで気づかなかった、という短歌。
本来的な語順は「最近になって僕は幸せそうな猫を見るのが好きと気づいた」で、短歌は語順が不自然だけど、許容してしまった。
でも「最近になって幸せそうな猫を見るのが好きと気づいた僕だ」(字余り)とか「最近になってはじめて幸せな猫を見るのが好きと気づいた」だと自然になるな……。でもこれだと引っかかりがなさすぎて「……で?」みたいになりそう。

文学フリマ札幌

きょうは文学フリマ札幌の日。少しくらいは売れただろうか。北海帽子部のみなさん、ありがとうございました。お疲れさまでした。

ほむほむのふむふむ

言っていいのかわからないけれど、明朝の「ラジオ深夜便 ほむほむのふむふむ」で拙作を取り上げてもらえているはず……。どんな形で取り上げられているのかは、僕も全然知らないのです。

きょう決まったイベント

毎年恒例のイベントが、今年も開催されることが決まった。よかった……。

明日から

Mリーグ開幕!
一応、ドリブンズとパイレーツを応援するんだけど、割とMリーグ全体を「箱推し」している。楽しみ。平日、日記を書くのが滞るかも知れないけれど、だとしたら、それはMリーグのせいだ。

喪失感

著名人の訃報が続いている。
「亡くなった」ということを知るまでは、思い出すこともなかったのに「亡くなった」と聞くと喪失感が生まれるのはなんなのだろう。
どのような状態であっても、亡くなりさえしなければ、この喪失感は生まれないのだ。……というか、思い出すこともないから、喪失しようがない。
受け止める側の「生」と「死」の境のことや、インターネットで誰かの訃報を知ってしまうカジュアルさの功罪を考えてしまう。

そんなそんな。