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ノイズ

2023.02.27

てんは、あした病院へ行くことに。様子はそんなに悪くないけれど、やはり後ろ足が痛そう。

きょうは、すごく天気がよかったので、布団カバーや枕カバー、ベッドパッドをすべて洗濯して布団も干した。

あと草むしりも少しした。

僕もある

僕もまったく意図せずに他の人の作品とほぼ同じフレーズだったことがあるから、この程度はめっちゃあること。たぶんまったくの偶然だと思う。もしくはどこかで僕の短歌を目にして、知らない間に刷り込まれていたか。それもすごくある。いずれにせよ悪意は全然ない印象。
先行している自作がもっと有名で、選者の俵さん、田中さんに知られていれば、起こらなかったことなのかもな……と、むしろ自作の中途半端な知られかたが申し訳ない感じ。
静観。

きょうの手書き短歌

これで「あ」〜「の」まで。あと半分くらい。
あれ? 結構大変? まだまだ先じゃん、って思ってたけど、もう3月になっちゃうしね。がんばろう。

あ、でも、きょう手書きの短歌カードを書いていて思ったことは「手書きは……純粋に短歌を読もうとするときには『ノイズ』になる」ということだった。
先に短歌集を読んでもらってから、手書きの短歌を眺めてもらうほうがいいかも。

こういうことも思いついたからメモのようにTweetしたけれど、実際にするとなると、それをする必然性がないと結構ノイズになって、短歌が頭に入ってこなかったりする。それでは本末転倒なのである。

窮屈

麻雀をうまくなろうと思うと、これまでにやってきたことを一度横に置いて、これまでにやっていなかったことを自分に「強いる」ことになる。これは結構窮屈な上に、必ずしもよい結果が伴うわけではないから、なんというか、近視眼的には「つまらない」「無意味だ」みたいに感じそうなのだ。でも麻雀は運の要素も強いけれど、場面場面の「正着手」みたいなのが、概ねある。それを踏まえることが長い目で見ると重要で、それが「うまくなる」ということなんだと思う。
つまり「型」というものは「最初は窮屈」なものなんだ。

……と、ここまで考えたときに「あれ? 俺、こういう『窮屈』、体験したことある……」って思ったんだよね。
中学でバスケットボール部に入って、ジャンプシュートを習ったときだ。「脇を締めて、肘は開かずに、膝を曲げて、ジャンプして、最高到達点でボールを放す」みたいなフォームを徹底的にやらされるんだけど、これが、まあ「本当にこれで合ってんの?」って思うくらい窮屈だった。

つまり「型」ってそういうものなのだろう。
たぶん短歌もそうだ。最初は定型が窮屈に思えたりするものだけれど、それを踏まえることが大事。

今度試すこと

これは試したい。

些細かもだけど貴重

こういうの、言ったご本人は忘れてそうなくらい些細なことだけれど、言われたほうにとっては、すごく貴重だし、割と人生を変えるよね。

揺れる

家の近所のアパートが取り壊しをしている。重機を使っているせいで、割と家が揺れる。
家が揺れると、なんというか「あってはならないことが起こっている」みたいな落ち着かなさだ。
地震の記憶みたいなのがあるのだろうけれど、これに慣れちゃいけない、という気持ち悪さがある。
戦場の街は、揺れまくっているのだろう。正気を保てる気がしない。戦争反対。

そんなそんな。