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矛先は自分に
2022.11.17
きょうは、残り7編書く予定のエッセイのうち、2編書き上げて、あと半分。だいぶ見えてきたなー。
あと、過去の写真をずっと眺めているんだけど、「きりは、ずいぶん早い段階から我が家にいるんだな……」と、現在最年長なんだから当たり前なんだけど、その当たり前のことをより一層実感した感じ。とは言え、まだ16歳なので、あと5年くらいは頑張ってもらいたい。
僕たちの勝手な願望なんだけど、我が家にはまだ20歳まで長生きした猫がいなくて、20歳まで生きてくれたら、飼っている側としては、「いろいろあったけれど間違ってはいなかったのかな」って、ちょっと安心できる気がする。まあ、そんなことは、人間の勝手な言い分なのだが。
ネオにおみくじ
きょうはエッセイ以外でも少し動けた。明後日のトークイベント用のネオにおみくじのプロトタイプにも一応当たりくじを入れているので、その当たり券を作成。
短歌のなかの嘘と本当
きのうの日記で短歌における「あなた」と「ぼく」の話を少し書いたけれど、それ以外に自分がやりがちなのは、「なにかを咎めるときやネガティブな指摘をするときには、その矛先を『自分』に向ける」というのがある。実際は他者に対して感じたことでも、そのまま他者に投げてしまうと、ひどく攻撃的に見えて、そこにある「いいたいこと」がむしろ濁って届かないことが多いので、そういうのは「自分を戒める」形で収めることにしている。ちょっといい例がすぐには浮かばないんだけど、推敲の段階でそういうことは割とある。
それは、僕の中では全然「嘘」ではないのだ。
僕の中では「泣いてないのに『泣く』と書く」みたいなのは嘘と感じる。
それが事実かどうか、とかではなく、泣いてないのに泣くって書くのは「心根に嘘をついている」ような気持ちになる。
うまく説明ができないことばかりだけれど、割と自分の線引きは明確にある。
お隣さん
コンビニに行こうと、玄関から出たら、たまたまお隣の奥さんと鉢合わせとなり、少し話していたら、外猫の「ちゃっちゃ」が僕の足元にやってきた。
お隣さんは「この子はおっとりしていておとなしいのね」と言ったあと「あの、大きな顔の子は私のことみたら『シャーッ』ってよく怒ってたのよ」と笑っていた。「なんだったっけ、あの子の名前。少し前にお家に入れた『くま』?」
「いや、『いわ』です」
「あら、そうだったわね。テレビ(「ねこ自慢」)で観たのに。そうそう、昭和顔の『いわ』ちゃんね」と朗らかに話してくれた。テレビも観てくれている。
外に猫がいると、ご近所さんにご迷惑かけることもあって、気になるのだけれど、我が家は、ご近所さんもみないい方々で助かっているな、と思う。
ドリブンズ!
1位、1位の2連勝! やっとおもしろくなってきた。
村上と丸山も続いてほしい!
そんなそんな。