2023.12.20
きょうは、誕生日だ。55歳になった。
55歳という年齢が、あまりピンとこないので、父が55歳だったときに自分は何歳だったんだろう、と調べてみたら21歳だった。やっぱりあまりピンとこない。
希死念慮
うつ病の最盛期(?)のときには、希死念慮が湧いてきていた。「湧いてくる」という表現もあまり適切ではない。
「死にたい」というのも「願望」なので、それは案外パワーを必要とする感情なのだ。「死」に対してポジティブ、というか。
僕が体験した「希死念慮」って、そういう感じでは全然ない。「死を決心して、えいや!」みたいなのではまったくない。そもそもそんな力が湧かないのが「うつ病」なのだから。
もっと……「生」と「死」の間のハードルが低くなるような感じ。境目がおぼろになる、というか。
先日、Netflixの「幽遊白書」の実写版を観た。
その中で稲垣吾郎扮する左京が魔界と人間界の間を繋ごうと界境トンネルを開通させる、みたいな野望を持っているんだけど、「これは、なんか希死念慮に似てる……」って思った。
「生」(人間界)と「死」(魔界)があって、そのあいだの「穴」が少し大きくなった状態が「うつ病」な感じ。
「死」の概念がするーっと通れるようになってしまう、みたいな感覚で、そんな大きな決断とか「死んでやる!」みたいな勢いとかでは全然ないのだ。
気づいたらそこにある、みたいな感じ。
ああ、でも実際に自死してしまうのは「うつ病が少し良くなったとき」というのは、よく聞く話だ。
なまじ体が動くようになって「死にたい」というポジティブな欲望を叶えられてしまう状態になっちゃうから。
……というようなことをさっきお風呂に入りながら、考えていたんだけど、誕生日に書くようなことじゃ全然なかったな……。
これ、前にも書いたかな……。
観た気になっていた
NEWSのこの「JUMP AROUND」のライブ映像を観て、僕が思ったのは「ライブ映像なのに、実際のライブのほうが圧倒的にいい……」だ。生で聴く増田貴久の歌声はこんなもんじゃないんだ。本当に。
映像とは、かくも省かれてしまうものが多いものなのか、と大袈裟に言うと、愕然としてしまった。
音楽にはほとんど興味がなかったし、これまで「テレビ出演するようなアーティストの生の歌をほとんど聴いたことがない」ということに起因するんだと思う。映像とライブを比較しようがなかった、というか。
そこまで考えて気づいた。
「……これ、あらゆることに言えるのでは?」
歌に限らず、お笑いだって、演劇だって、スポーツだって、演奏だって、踊りだって、映像を観て「なんとなくわかった」ような気になっていたけれど、実はなにひとつわかっていないし、そもそもなにひとつ「観ることすらできていなかった」のだ。何かを省かれてしまったあとの「似て非なるもの」しか観ていない。
……と、まるで、テレビ黎明期に誰かが言ったようなことに55歳になったきょう気づいた。
そんなわけで、きょうはちゃんと「観てくる」於東京ドーム。
そんなそんな。