がんばって

2024.05.26


きょうは、午前中はほぼ何もせず。

シュレッダー

午後から、昨年から大量に貯め込んでいた断裁するべき書類を、コツコツとシュレッダーに飲み込ませて、すべて断裁した。ようやく部屋の床が見える状態に。だいぶスッキリしたけれど、だいぶスッキリしてしまったので、それ以上のことはあまりできなかった。あとは部屋に掃除機をかけたのと、机の上を整理したくらい。机の上もようやく机が顔を出した状態に。あとはクローゼットを片付けたり、いらないものを捨てたり、というのを今月中にはやり終える。

猫のうた

松山のerimakiで開催中の二人展「猫のうた」。どんな感じの作品が展示されているか、erimakiさんがツイートしてくれている。

作品1

小泉さよさんの絵と、絵を描いたときのイメージ(1個目のツイート)をいただいて、それらから僕がいくつか短歌を作って(2つめのツイート)、最終的にその中から小泉さんに「これ」と決めてもらって(1つめのツイートの「まどろんで」の短歌)、直筆で短歌を書いて、小泉さんに送って、小泉さんが額装して、完成……という流れで制作した。

以下、作品5まで。

作品2

作品3

作品4

作品5

作品1と作品5が売約済み。ありがとうございます。他の作品もよろしくお願いいたします。

小泉さんの描く猫は、どんなカットでも「何かを思っている感じがして、それがいい」と思っていて、だからこそ短歌に落とし込めるような気がして、やってみた。

グッズの通販も始まっています。
ぜひ。

なぜ「楽になる」と思うのか

新刊『また猫と 猫の挽歌集』(雷鳥社)が刊行されて、自分からの献本は概ね済んだ。版元からの献本も来週前半には完了すると思う。

「挽歌集」なのに、なぜ読んだ人が「楽になる」と思うのか、というと自分の経験上、そうだったからだ。

僕自身が、例えば『さよなら、ちょうじろう。』(小泉さよ KKベストセラーズ)や『長い長いさんぽ』(須藤真澄 ビームコミックス)といった猫の看取りがテーマの作品に救われてきたのだ。

なんでなのかは明確には言語化できないんだけど、「まあ、みんな、おんなじように右往左往したり、後悔したり、ままならなかったり、なんだな」という共感というか、諦めというか、なにか少し安心するような気持ちになるのだ。

NHK短歌

枡野浩一さんのNHK短歌を観た。テーマは「がんばって/だいじょうぶ」。

こういうテーマだと「言葉のチョイス」がすごく大事になってくる感じ。改悪が本当に「悪く」なっているのも、逆に言えば元の短歌のよさの内訳として「言葉のチョイス」の比重が高いから、とも言えそう。

「カロリーで」と「いい歳のひと」というフレーズが、本当に「ほどがいい」と思った。

そう言えば、僕もなんか「がんばって」的な短歌、最近作ったぞ……と思い出して、探したらあった。

はげましてあげたいときに日本語は「がんばれ」じゃないエールが足りない

きょう作った短歌


そんなそんな。