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四半世紀前

2022.06.13

きのう「前日に終日外出したら、何もできない仕様」と書いたけど、嘘でした。きょうも何もできなかったから、あまり外出の有無とは関係がない気持ちになっている。梅雨のせいにしたい。

きょう作った料理

このレシピで作ったんだけど、我ながら美味しくできた。確かに胸肉っぽくない柔らかさに仕上がった。「料理は化学」って言いたくなる。

きょういただいた美味しそうなもの

「いぶりがっことチーズのオイル漬」「銀の比内地鶏」。

きょう届いたforAIM

他のちゅ~るに混ぜて与えるタイプ。
薬の開発が待たれる。

北海道

日程を考えつつ、飛行機と宿の値段を調べたりしている。

困ったときの

あまりにも書くことがないときは、過去のテキストを載せることにしている。きょうは、「あまりにも書くことがないとき」だ。

これは、たぶん27〜28歳くらいに書いたエッセイ。四半世紀前の作品。書くことも書き方も、いまとさほど変わっていない。


「中学生と水道水」

 夏、16時30分。M中学校の横を通る。ブラスバンド部の女の子達が管楽器を奏でている。
「プォー」
「プァー」
 トランペットやトロンボーンが悩める10代の吐息を思い思いの音に変える。
 体育館入口の脇で、上は体操着、下はスカートの女の子たちが笑っている。
 体育館からはドリブルの音が聞こえる。
「ダムッ、ダッダム」
「ダムダムダム」
 体育館で少年や少女がリングとリングの間を行ったり来たりしているのが見えた。
 「何も変わってないじゃないか」
 と思った。
 きっと、毎日全力で走っているんだろうな。そういえば、最近全力で走ったのはいつだったっけ。
「変わったのは俺の方か」
 と思った。
 中学時代はバスケットボール部だった。顧問の先生は県内でも有名な鬼だった。校内暴力が吹き荒れていた時代だったので、学校も世の中も厳しい指導に寛容だったように思う。とにかくよく殴られていた。口の中はいつも切れていた。 練習も厳しかった。訳も解らずに殴られても、「もうダメだ」っていうぐらいしんどくても、なぜか続けていた。あの力はいったいどこから生まれていたのだろう。
 今では「運動中の水分補給は不可欠」というのが常識になっているが、10数年前は運動生理学より精神論が優先されていた。少なくとも僕の中学ではそうだった。練習中に水を飲むなど許されない行為だった。毎日、喉の渇きは極限に達していた。喉の内壁同士がくっつき、息が詰まる。吐き気を催す。実際に吐いている奴もいた。僕は涙目になりながら情けない気分になることが多かった。
 それだけに練習後の水は格別だった。当時は学校帰りの買い食いなんてもってのほかだった。だから練習後は競って水道に並んだ。
 まわる蛇口を上に向けてかぶりついた。飲んで、浴びて、また飲んだ。腹がタプンタプンになるまで飲んだ。酒の味を知らない中学生の「仕事の後の一杯」は生ぬるくて、鉄くさい水道水だった。
 20代半ばを過ぎた今、水道の水は飲まなくなった。コンビニエンスストアで「おいしい水」を買って飲んでいる。ひどくつまらない奴になった気がする。
 通りがかったM中学校の横に公園があった。 
 水道の前まで歩き、蛇口に口を近づける。一口、水を含んでみる。
 公園の水は、やっぱり生ぬるくて、鉄くさくて、少しだけ懐かしい味がした。



そんなそんな。