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悼めなかった

2022.07.22

『三十一筆箋 −猫−』の残部を確認したら、56冊だった。そろそろ増刷しなければ。

きょう観たドラマ

「ユニコーンに乗って」第3話。
西島秀俊が絡まない過去の回想がメインで、ちょっと退屈だったかも。

落ち着いている

皮膚炎の状態が落ち着いている。
これは、まあ、ちゃんと薬を飲んだり塗ったりしているからで、なぜちゃんと飲んだり塗ったりしているかと言えば、また来週診察に行くことが決まっているからだ。
何かをきちんと継続するには、そのための「枷(かせ)」が必要な性分なのだと思う。つまり、面倒くさがりなのだ。

そして書くことがない

例によって、昔書いたエッセイを掲載することにする。


「中学生日記」

「バスケ部の先生は鬼のようで、体育館には殴られた部員の血の跡がついている」
 小学校を卒業すると、ほぼ全員が向かいにある中学校に進む。6年生になると中学校に関するいろいろな噂が流れた。
 中学校には「仮入部」というシステムがあった。1カ月の間、自分に合ったクラブを探すために、気になるクラブを渡り歩くのである。怖いもの見たさも手伝ってバスケット部に仮入部した。
 フリースローがたて続けにリングに収まっていくことが素直にかっこよかった。練習は楽ではないけれども無理ではないと感じた。先生も噂ほど怖くなかった。やって見よう、と思った。
 正式に入部届を提出した日、練習がそれまでとは一変していた。昨日までの和やかさがなかった。張りつめていた。あっけにとられているうちに先生がやってきた。1年生だけが集合させられ、横1列に並んだ。
「もっと声をださんかあ」という大声と同時に端の奴がふっとんだ。決して誇張ではなくふっとんだ。(なんや、なんや)と思っている間に「ぐしゅっ、ぐしゅっ」という鈍い音が近づいてきた。どうやら横っ面を張られているらしい。
(次、俺や)
 首をすくめ、ぎゅっと目をつむった。
 気がつくと倒れていた。耳がキーンと鳴っていた。痛いとは思わなかった。状況を把握するには時間が短すぎた。相当間の抜けた顔をしていたに違いない。
 殴られたのはこの時が初めてだった。全員が殴られ、先生からなにやら罵声を浴びせられた。まだあまり何が起こっているのかわかっていなかった。ただ、声を出さなければいけないことだけはわかった。練習に加わり、ひたすら声を出し続けた。それが自分の身を守るための精一杯の努力だった。
 練習の後、モップをかけながら、床に点々と赤茶色の汚れがあることに気づいた。
(血の跡や。噂はほんまやったんか。だまされた)
 部員確保のため、仮入部期間は先生も先輩も猫かぶるのがバスケット部のやり方だということを知ったのはすぐ後のことだった。
 以後転校までの2年間で、純朴だった少年は殴られても平然としていられる図太さと、どう殴られれば痛くないかを日々研究するしたたかさを身につけていったのだった。


数年前、このエッセイに書かれている先生が亡くなったのだけれど、僕はうまく死を悼むことができなかった。
転校によって「殴られ続けた」という記憶のまま、印象が上書きされることはなかった。
僕は自分を「大人げない」と思う反面、「体罰とは、それほど根深い何かを人に植え付けてしまうものなのだろう」とも思った。

そんなそんな。