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あっという間

2023.03.31

あっという間に3月も終わった。あっという間に新刊発売から2週間が過ぎた。相変わらず、売れてるのか、売れてないのか、よくわからない。

レビューがつかないな……。

きょうは、秦野の古民家カフェ「なたね」に新刊『いまから猫のはなしをします』を納品。自転車で、桜を眺めながら。

その場で1冊にサインを書いてきた。(閲覧用)

オーナー夫人は「仁尾さんが『ネコメンタリー』に出演したときに自慢するわ」とおっしゃっていたけれど、結構そのハードルは難関だと思う。

でも、古民家カフェで出会われて、買っていかれる本、すごく幸せな気がするから、ありがたいのだ。

くるねこさん

長年ファンであるくるねこ大和さんにこんなふうに描いていただける未来が来るなんて。本当に光栄。ありがとうございます!
いまAmazonを見たらくるさん効果でめっちゃランキングが上ってた。

舞いあがれ!

最終回を観た。最後までとてもよかった。

これは、買ってしまうだろう。

左利きだったのか!

今夜すきやきだよ

こちらも最後までとてもよかった。

セ界

これも買う。僕はとにかく「その人にとってののっぴきならないことを短歌にしている」という短歌が好きなのだ。

エモさから遠ざかる

「エモい」という言葉も語感も好きじゃない。
「エモい」とは「エモーショナル」=「感情」なので、エモくするためのあれこれは「エモくするためにあれこれしました」という「感情」が作品に出てしまって醜い。
そんなことに力も時間も費やしてはいけない。

去年のきょうの僕

去年のきょうの僕が、いいことを書いていたので引用。

短歌って、推敲を重ねると「ああ、これが正解かも」という「その山の頂上」には、なんとなくたどり着けるようになるんだけど、そうやってたどり着いた「頂上」が思ったよりも「え? こんなもんだっけ?」みたいに期待はずれなこともよくあって、そういうときは「要するに登り始めた山自体がこの程度だった、ということだ」と感じる。最初っから間違っている、というか。
だから、短歌の肝って、実はもっとずっと前段階なのだと思っている。
登ると高い山を自力で気がつけるかどうか、が一番大事なんだと思う。
そして、その能力は、実は、短歌の上手い下手とはあまり関係がなくて、もっと根本的な「僕にとっての『おもしろい』は、本当に『おもしろい』のか」みたいなことのような気がしている。

本の流通のしくみ

書籍の流通のしくみがいつもピンとこない。
僕は「猫」と「短歌」というニッチ×ニッチみたいな立ち位置だから、お付き合いのある本屋さんも「猫に強い本屋さん」と「詩歌に強い本屋さん」という感じになる。個人書店さんも多くて、そこにうまく自著が置かれないジレンマみたいなものを感じる。いろんなことがもっとフレキシブルになるといいのにな……。

あしたはエイプリルフール。嘘でもいい日でありますように。

そんなそんな。