愛もある
2023.10.25
きょうは、ぼんやりしていたらいつの間にか昼になっていて、『猫と生活』はさっき1冊書き終わった。
散歩はお休み。きのう一万歩歩いたからよしとする。
『猫と生活』
日々なぞり書きを続けている。1冊1時間半くらいで書き上がるので、1日に4〜5冊は書けるはずなのだけれど、目や身体の疲労がそれを許さない。
漫画家や絵描き、細かい作業を生業としている人って、加齢による生産性の低下が、すごくあるのだろうな……。
「なぞる」というのはちょっと不思議な作業で、文字を書いているのだけれど、文字面の「意味」を考える必要はなくて、そういう意味では「単純作業」なのだ。頭では別のことを考えながら進めることができる。
きょう1冊分(四十首+ニ首)をなぞりながら、考えたこと。
(これ……量産して販売は無理だな……)
もともと「文学フリマでの販売なんて僕程度だとせいぜい50冊くらいしか売れないのだから、それくらいなら印刷物じゃなくてもいいんじゃないの? 印刷物にする意味ある?」というのが作り始めた動機なんだけど、これを50冊作ろうとすると、まあ、単純に50日掛かるってことで、それをやりたいか、やりたくないか、で考えると「やりたくない」なのである。
(……とは言え、なぞった文字の雰囲気はいいな……)
丸ゴシック体の文字を打ち出し、それをなぞって転写しているんだけど、転写された文字は、丸ゴシック体でも、僕の筆跡でもない、ぎこちなくて、味のある「誰の文字でもない」「手書きなのに人が書いたものじゃない」みたいな文字になる。なんか、これはこれでよいのではないか。
![](https://assets.st-note.com/img/1698222511631-dyY7EDnh5O.png)
(……で、あれば、数十首を一度だけなぞり書きして、それをスキャンして、データ化して、レイアウトに割付して、冊子を作って印刷して文フリとかで販売すればいいのでは?)
春の文学フリマ東京で、前年作った短歌からセレクトした50首くらい?を手書きでなぞって、スキャンしてデータ化して、それを冊子にする、というのはどうだろう?
ここまで考えて、「いや、待てよ……。そもそも文字通り『トレース』したモノを販売しようとしているんだけど、フォントのデザインの著作権ってどうなってんだろう? これ、『ぎこちない線に味があるから、◯◯(有名キャラクター)をなぞってそれを印刷して販売しよう!』だと絶対ダメだよね。フォントだったらいいのかしら? 『商用可』のフォントとかだったらいいのかしら? でもソフト上でのフォントの加工は認められているんだから、なぞったものを販売してもいいような気もする……」っていうようなことをツラツラと考えているうちに、1冊書き終わった。
改作
いま作っている『猫と生活(2023)』は、12/3(日)開催の「絵描きと歌人と本屋の猫ばなし7』参加者特典として10部だけ作っている。10部作るということは、同じ短歌を10回手書きする、ということだ。
そうすると「この短歌……こう変えたほうがよくない?」みたいなのがでてくる。
愛憎の憎がないから人よりも猫を愛せてしまうのだろう
— 仁尾智(におさとる) (@s_nio) July 9, 2023
愛憎の憎があるから猫よりも人に悩んでしまうのだろう pic.twitter.com/rx4papJzKl
これなんだけど。
一首目は
愛憎の憎がないから人よりも猫を愛せてしまうのだろう
でいいと思っている。
ニ首目は
現)
愛憎の憎があるから猫よりも人に悩んでしまうのだろう
↓
改)
愛憎の愛もあるから猫よりも人に悩んでしまうのだろう
のほうが、実感に近い。
猫には「愛」しかないけれど、人には「愛」もあるけれど……みたいな感じ。もともとの「憎があるから」だとやや直接的で平べったい印象。もっと複雑な感情を「人」には持ってしまう、ということだから。
今後、どこかに掲載することがあったら、改作のほうを採用するかも。
そんなそんな。