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傲慢な気持ち

2023.04.17

きょうの僕は、結構褒められてもいいくらい働いた。働いたと言っても、お金を稼ぐみたいなことではなくて、組長として自治会費を集めて回ったのである。10件のお宅のドアベルを鳴らし、自治会費を集めたり、その他の協力金のお願いをしたり……。めちゃくちゃえらいんだが。

……で、越境している木を伐採してもらいたいお隣さんは、だいたい家にいても居留守を使うのであるが、きょうは粘りに粘って、とうとう根負けして出てきて対面。
「いま忙しいから明日にしてくれ」と言われ、「明日何時なら?」と聞いて、「明日の朝9時に」と言質をとったので、明日の9時に自治会費も木の伐採の件もすべて完了させるぜ!

そして、ご近所を回っているうちに聞いたところによると、空き家として売りに出ていたほうのお隣が売れたらしく、もう5月には入居予定らしい。50代男性の一人暮らしらしい。猫が嫌いな人じゃないように……とだけ祈っている。

発売1ヶ月

きょうで『いまから猫のはなしをします』が刊行されて、ちょうど1ヶ月。もう1ヶ月も経ってしまった。
うれしい感想もたくさん届いているし、思ってもいない方から言及してもらえたり、反応自体はそう悪くないような気もしているけれど、なんというか……手応えみたいなのがあまりない。
僕の中に「知ってもらいさえすれば、届くのではないか」(誰か著名な人が紹介してくれないかな……)みたいなさもしくて傲慢な気持ちが湧いてしまう。

本当によくない。

感想だって、いただければニヤけるほどうれしい。でも感想って「やらなくていいことをしてくれている」というのがうれしいのであって「感想をください!」ってお願いしてもらうものではない。

まあ、何もしようがないし、焦ったりしても仕方がないので、できることをただ黙々とやり続けるだけなのだけれど。

まずは、4/23と4/26のトークイベントだ。

短歌観

突然こんな「自分語り」をされても……と、思われそうなツイートをしてしまった。

喜怒哀楽などの感情をストレートに書くときの、その感情の部分で嘘をついたり誇張したり、は物欲しそうに見えてみっともない、と思っているのだと思う。泣いてないのに「泣く」と書いてみたり、死んでないのに「死ぬ」と書いてみたりするのは、平たく言うと「カッコ悪い」と感じているようだ。

こういう「思っているのだと思う」と自覚していくことで、「短歌観」って見えてくるんじゃないのかな。

……で、それはもちろん誰かと僕とが同じであるはずもないので、吐きそうじゃなくても「吐きそう」と書かれた短歌があっても当然よいし、泣いてなくても「泣く」と書かれた短歌があってもいいに決まっているのだ。

きょう作った短歌

支持率が上がる要素なんて、いつも1mmもないのに、本当に意味がわからない。

そんなそんな。