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2年で2歳

2022.04.10

きょうは月に2回の麻雀大会日。
結果は1着から1-4-5-1の-18。ひとり鬼神のように強かった人がいた中で、よくこのくらいでまとめた、という感じ。
だいたいうまく打ち回していた印象だけれど、1局だけ親で残り数巡の終盤に割と危険な四萬を持ってきて、三六索待ちの親のハネマン手を崩して、四萬単騎に受けを変えたら、すぐ下家からそれまで待っていた六索が出た場面は悔やまれる。押すべきだったかな。

Facebook

ずっと身に覚えのないページや人をフォローしたり、いいねしたりと、よくわからない挙動だった我がFacebook。
もういい加減コツコツ「いいね」を取り消すのもバカバカしいし、大して使ってもいないので、アカウント削除してやろうか、と思っていたけれど、先日、とりあえずすべての連携アプリを解除して、パスワードも変更して、すべてのページのフォローを外して、とやってみたら、それ以降、身に覚えのないことはしなくなった。結論としては、乗っ取りだったのかも。
それにしてもFacebookのインターフェイスは皆目わからない。
今回の件で、いろいろ触ってわかったんだけど、Facebookには「いいね」と「お気に入り」と「フォロー」という概念があるらしい。なんだそりゃ。
全然区別がつかない。

野田知佑さん

先日、カヌーイストの野田知佑さんが亡くなった。
著作を読んだことはおそらくないのだけれど、僕が若かりし頃に「カヌーイスト」という聞いたことのない肩書きで颯爽と現れた印象がある。
そのとき「何か趣味以上に好きなことと、文章を掛け合わせれば、職業になるのか……」と「カヌーイスト」という肩書きに「希望」のようなものを感じた。
それから長い長い年月が経って、僕は「猫歌人」というもっと聞いたことのない肩書きで(職業とは言い難いけれど)短歌と文章を書いている。
猫と短歌で猫歌人。
少なからず「カヌーイスト」という肩書きの衝撃が影響していると思っている。

マンガみたいなこと

ときどきマンガみたいなことが起こるけど、目撃したときに、高揚するのはなんでだろうか。よくわからないけど、笑っちゃう感じ。
たぶん「これまでの当たり前が、当たり前じゃなくなること」や「これまでの特別が、特別じゃなくなること」に、興奮するのではないか。
小さく世界がひっくり返るようなことに、心が震える気がする。
それにしても圧巻。

2年

さっき妻が「もうすぐわらびの命日じゃん?」と言うから「そうだね。14日だもんね」と答えると、「2年じゃん?」と言うから「もう2年だね」と答えると、「……ということはね、ゆう、げん、のんたちはもう2歳なんだよ?」と言われ「え? あいつら、わらびが亡くなった頃に預かったんだっけ?」となったけど、そういえばそうだった。
くう、ちょう、わらびが立て続けに逝ってしまって、呆然としている時期に、かかりつけの病院の先生が(たぶん僕らの様子を見るに見かねて)「一時預かりをしてみない?」と声をかけてくれて、預かったのが「ゆう」「げん」「のん」だった。
「のん」「ゆう」はそれぞれ「ナル」「ニア」という名前で同じ家に、「げん」は「よつば」という名前で別の家に縁付いた。
あのときは、子猫の生命力に、本当に救われたんだ。
あいつら、もう2歳か……。
わらびが亡くなって2年というのは実感が伴うけれど、「ゆう」「げん」「のん」が2歳ということには全然現実感がなくて、不思議。


そんなそんな。