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ぼんやり

2023.08.22


たくさんのかたからお悔やみのコメントをいただいて、驚いています。いわは、人気者だったんだなぁ……。
個別のご返信はできませんが、すべて拝読しております。ありがとうございます。

いわのこと

少し前に下記の文章を日記で書いたんだけど、そのときは、投稿する直前でなんとなく思いとどまって、投稿しなかった。

今さらだけど、その文章を載せます。


いま、いわが「余命」と言われる状態になっている。
4月の末くらいに、舌の下に腫瘍ができているのが見つかって「扁平上皮癌」の宣告を受けた。
その際、提示してもらった選択肢は「手術で下顎ごと切除」「抗がん剤の投与」「対症療法的な緩和ケア」の3つだった。いわは、正確な年齢は定かではないけれど、おそらくかなりの高齢で大掛かりな手術をするのは、体力的にしんどそうで、もうそんな無理させるのも忍びなかった。抗がん剤にも副作用などのしんどさが伴う可能性もあって、結局積極的ながん治療は行わない選択をした。その場合の余命は1ヶ月から3ヶ月である、と。
それが最善の選択だったか、いまでも全然わからない。
すでに3ヶ月は経過したけれど、いわはがんばっている。緩和ケア、といっても痛みがまったくなくなるわけじゃないし、当たり前だけどしんどそうだ。
当初の僕は、正気を保つのでやっと、みたいな感じだったんだけど、がんばってくれているいわのおかげで、だんだん落ち着けるようになった。
毎食シリンジでごはんをあげているのだけれど、よだれだらけで精いっぱい食べて生きているいわが、すごくすごく愛おしい。
本当に、とにかく穏やかに、と祈ることしかできない。


……って書いたんだけど、治療方針を提示されたとき、理屈よりも反射的になんとなくいわが望まない気がして「手術も抗がん剤もなしだな……」と思ったんだよね。看取ったいまでもそれが正しかったか、なんてわからない。

この文章を書いた後に、シリンジでのごはんも食べられなくなり、水を含ませてあげるくらいのことしかできなくて、それでもそうなってから10日以上頑張ってくれて、とても穏やかな最後だったので、もう本当にお疲れさまでした、しかない。

この期間、ずっといわのご飯やペースで生活してきたので、きょうは久しぶりに通常のサイクルで生活したんだけど、僕の記憶にある「通常のサイクル」は「いわが元気なときの生活」なので、まあ、欠落感が大きい。

いわについては、闘病中の様子も含めて、たくさん書けそうだけれど、僕が書ける状態になるときまで、出来事の記憶を保てる自信がない。

きょうは、一日とてもぼんやりしていた。

きょう作った短歌

気落ちしている、というよりも、気が抜けている感じ。

経験がものを言わないこともある 最たる例が猫との別れ

短歌にするということ

しんどいことを短歌にすると、しんどさをひとつ自分の内側から外に出せたような気持ちになれて、少しだけ楽になる。短歌にはそういう効力がある、と思っている。(これ、前にも書いたっけ?)

だから猫の挽歌集『また猫と』に収録される短歌は、全部自分が楽になるために作った(というかできてしまった)短歌、と言っていい。僕のための僕の短歌だ。
だから(それがいいかどうかはともかく)少なくとも「嘘がない短歌集」にはなる。

短歌研究

ぜひ。


そんなそんな。