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ゴマとポタージュ

2023.07.18


きょうは、月末締切の3案件のうちのひとつの短歌を提出した。まだ締切まで時間があるのに提出するのは、どうだろうか、とも思ったけれど、手元の短歌はもう動かない感じだから、持っておくほうが気持ち悪くて提出した。

(失念していたんだけど)以前一首提出していて、「もう一首別案をご提案いただけないでしょうか」的な案件で別案を送ったんだけど、結局以前の提出した案が採用された。

こういうときは「ああ、別案が思ったほどじゃなかったんだな……」と少し申し訳ない気持ちになる。

ゴマの口内

ゴマを家に入れるきっかけは、ご飯を食べるときに、時折すごく痛そうに「あ゛ぁああ」とも「ぎゃあぁあ」ともつかない叫び声を出すようになったからだ。
それがあまりに痛そうで、食も細くなっていたので、家に入れて、病院に連れていき、おそらくはこれが原因では、という歯を数本抜歯した。

少しましになったとは言え、抜歯後も痛そうな素振りは続いていて「もしかしたら、このまま食べられずに死んでしまうのかな……」と覚悟していたほどだった。

その頃はもう固形物を食べることができずに、毎食ポタージュをあげていた。ほぼポタージュだけで生き延びている状態だった。

数週間経って、本当に何が原因かわからないんだけど、突然ドライフードを食べるようになって、痛がる素振りも一切見せなくなった。それからずっともりもり食べられるようになって、いまは我が家で一番健康そうだ。

そのときは「痛んでいた歯が、何かの拍子に抜けたのかな」と話していたんだけど、先日読んでいた『はぴはぴくるねこ11』に「もしかして、これでは?」という記述があった。

「トムおじさん治療記」で言及されている「破歯細胞の暴走」というやつ。原因もよくわかっていないらしい。たぶん、これじゃないだろうか。
「ゴマ、ポタージュでよく頑張ったよ……えらいよ……」と、今となっては丸々としているゴマのお腹をなでながら褒め称えている。

ゆうべ作った短歌

当たり前のことなんだけど、改めて短歌として提示されると、ハッとすることってあるよね。僕はある。
この短歌がそういう短歌になっているかどうかは、わからないけど。

三年前

『猫のいる家に帰りたい』を献本させていただいた歌人は、枡野浩一さんと俵万智さんだけだった。
枡野さんは、僕が短歌を始める直接のきっかけなので当然として、俵さんは面識もなく(今もない)、おそらく僕のことなど知らないだろうけれど、俵さんの特に子育ての短歌と僕の猫短歌は、(おこがましいけれども)どこか通ずるものがある気がしていて、ご献本させていただいたのだった。

そうしたら、このようなツイートをしていただいて、当初は「もしかして、俵さんはご献本された歌集については、すべてに言及したりするすごく律儀なお人なのでは?」と俵さんのツイートを遡って確認したりしていた。
それくらい言及していただいたことに驚いたのだ。

そんなそんな。