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要精進

2023.07.30


今朝、起きると、妻がなにか言いたげに立っていた。何かしただろうか。起き抜けの頭で一生懸命考えたけど、わからない。「え? なに?」と尋ねると、妻はひとこと「草むしり……」と答えた。

そうだった! きょうは早起きをして、草むしりをするよ! と、妻に宣言していたんだった。まっっっっったく忘れていた! ……というのが、今日の始まり。

草むしりは、あしたにしよう。

猫と、とうさん

FRaUで「猫と、とうさん」の監督へのインタビュー記事が。全然前情報なしに観にいったんだけど、監督が女性であることをこの記事で知って、なんとなく納得感がある。

アメリカでは猫好きの男性は「キャット・ダディ」と揶揄され、変わり者、あるいはかっこ悪いと思われる傾向があるそうですね。

なるほど……。

この公式ページの「COMMENT」の欄に短歌の寄稿を依頼されるくらいになりたいものだ。

でも、これらのツイート、公式アカウントに「いいね」はされているのだけれど、リツイートもされていないところをみると、あまり届かなかったのかな、という印象。要精進。

心が健康なとき

この坂本千明さんの『退屈をあげる』に関する一連のツイートは、僕がまだ出ていない『また猫と』に思っていることとまったく同じだ……。

猫の挽歌集『また猫と』も、心が健康なときに、という思いで「オビを表紙で折り返さないで、帯封みたいにしてクルッと本を巻いて封をする仕様」を希望している。帯封を切るという能動的な行動をすることで、読むためにひとつ物理的なハードルを越える必要がある(=心が健康なとき)形にしたいと思っている。(実現できるかどうかは、まだわからない)

僕も"読んでくださった方に苦しい、辛いだけの思いをさせるつもりは"まったくなくて、泣ける本を作りたいとも一切思っていない。ただ、前を向けるようなものを作りたいと思っている。本棚にあると、少し心が楽になるような。

……と、そうは言っても内容は「挽歌集」だから、重くて、苦しいことは否めない。献本ものんきな宣伝もしづらい本になりそう。

『いまから猫のはなしをします』ですら思いのほか「泣いてしまう」みたいな感想が多くて戸惑っているのに……。

……だいじょうぶだろうか……。

静かにしたい

短歌を作るときに気をつけていることって、自分ではあまり気づけないんだけど、きょう「まっぷたつ」という言葉を使っている短歌を見かけて「そこまで自分で言ってしまうともったいない」と思った。
「まっぷたつ」には、作者の主観が入りすぎていると言うか、読者に押し付けすぎていると言うか……。
もう少し手前までに抑えて読者に差し出すべきだ、と考えるようだ。
「まっぷたつ」を「ふたつ」にすれば二音節約できる、ということは「まっぷたつ」を使うことが、よほど「これじゃないとダメなんだ」という強い思いがない限り「文字数合わせ」にも見えてしまうのだ。

「短歌は、できるだけ静かにしたい」と思っているみたい。自分で作っているときには気づかないけど、他の人の短歌を読むと気づくことって、あるね。

そんなそんな。