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最終目標

2022.08.17

きょうも朝4時過ぎに起きて、猫のご飯をあげて、プラゴミを捨てに行って、昨日の草むしりの続きをした。
きょうは、ちゃんと長いジャージ的なモノを着て、肌が露出しているところには虫よけをスプレーして、万全の体制で挑んだ。
きょうは意外と涼しかったこともあって、1時間半程度で完了。
はー、きょうの労働はおしまい。

爪とぎとトイレ

先日、日記に書こうと思って、うっかり書き忘れていたことを、改めて書くのだけれど、そうまでして書くことか? と思っているし、そもそもそれは日記か? とも思っているけれど、書くのだ。

先日、燃えるゴミの日にゴミを捨てに行った。
自分の家から出たポリ袋2つ分を、ゴミ捨て場に置いた。すでに捨ててあるゴミの山に目を移すと、我が家で使っている猫の爪とぎと同じものが捨ててあった。
それだけなら「ああ、近くに猫を飼っているお宅があるのだな……」と思うだけなんだけど、そのそばに我が家で使っている猫トイレ(正確に書くと、買ったけれど誰も使ってくれなくて持て余しているトイレ)と同じものが捨ててあったのだ。それは、上から入るタイプで、あまり一般的ではない珍しい形状のトイレなのだ。
僕はとっさに「あれ? もしかして我が家の? 僕の知らない間に妻が爪とぎとトイレ、捨てに来た?」と思ったけれど、いまは早朝の6時で、妻は家でまだ寝ているはずである。捨てに来ているはずがないのだ。
偶然、近所で猫を飼っている人が捨てたんだな……と、思い直した。
思い直しながら、いや、待て、と再度思い直した。
捨てているということは、そのお宅ではもう爪とぎも、トイレもいらなくなってしまったということではないか。
そこまで考えて、苦しくなって、考えるのをやめた。

怒られるかも知れないが

こんなことを書くと怒られるかも知れないが(誰に?)、「短歌って誰にでも書けるのでは? 本気で取り組む人が少ないだけで」と、ずっと思っていた。だって僕が書けるのだから、と思っていた。今でも、少し思っている。

ただ、最近少し「そうでもないかも」と思い始めた。レベルの話でもあるのだろうが。
それは、例えば僕は絵が描けない自覚があるんだけど、もしかして絵描きの人からすれば「いや、絵は誰にでも描けるよ」と感じるのかも知れない。
例えば僕は俳句を作れない自覚があるんだけど、もしかして俳人からすれば「いや、俳句は誰にでも作れるよ」と感じるのかも知れない……みたいに逆から考えると、短歌も案外そんなに簡単には作れないのかも、と、もう18年くらい作ってきて、ようやく少し思い始めている。
そして「本気で取り組む人が少ないだけで」って思ってたけど、継続的に本気で取り組むこと自体、誰でもできることではないのでは、と、もう18年くらい作ってきて、ようやく少し思い始めている。

ネコメンタリー

人生の最終目標として「『ネコメンタリー 猫も、杓子も。』に出演する」というのはどうだろう。

黒猫感謝の日

きょうは黒猫感謝の日らしい。我が家は黒猫にも、白猫にも縁がない。


そんなそんな。