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初めての挑戦

明日、stand.fmという音声配信に挑戦してみようと思っている。

なぜ突然そんな無謀とも言えることに挑戦しようかと思ったか。それは親愛なる嶋津亮太さんがnoteでおすすめされていたから。単純な私は「ほう、それは面白そうだ!やってみるべし」と思い立った。

以前から音声配信には興味は持っていた。いつかはやってみたいと思ってはいた。それはこのnoteを始めた時とほぼ同じ動機で自分探しの旅に出たいというような感覚。これまでの人生の気づきや思考の蓄積を何か形に残しておきたいといったような感覚。要するに未だ私は自分のことがはっきりと解明できていないのだ。


文字や音声に残すというのはある意味とても勇気がいること。でもなぜ敢えてそれをやるのかというと、結局は自分のことを理解できていないが故の探究心がそうさせるのではないかと思っている。私の場合。

昨日の嶋津さんのstand.fmで、嶋津さんとたなかともこさんの対談があった。

非常に興味深く、何度も繰り返し聴いた。

お二人とも、文章や言葉に対する思いが尋常じゃなく繊細で思慮深い。そして特にともこさんはそこにもってきて考えが哲学的だ。どうしても最終的に思考が哲学の領域に達してしまう。

聴いていて思ったことは、ともこさんの育った環境とこれまでの人間関係において培った、人と自分との関係性における「バランス感覚」が彼女の考え癖や周りの人たちにかける心配りを育み、それらが彼女の中での心持ちのデフォルトとなっているのではないかなと。

常に自分の周りの人たちに気を配って行動や発言をしている。誰か傷付いている人はいないか。嫌な思いをしている人はいないか。自分が発するこの言葉で気持ちに引っかかりができる人は?後ろ向きになる人は?

それが自然とできる、というか意識せずともそうなってしまう人。それはもう思考癖だから今更なおしようもなく変えることもできない。それが故、時には自分自身がしんどくなってしまったり傷ついてしまうこともあるのではないかと思う。

きょうだいが多かったり大家族だったりして、自分の立ち位置を常に計算しながら生きてきたことに由来することもその理由として多くあるのではないかと推察するのは私自身がモロにそうだからだ。

4人きょうだいの3番目。どうしたって日々、自分の立ち位置を計算しながら生きてきた。今、誰の機嫌を取らないといけないか。誰がシンドイ思いをしているか。これを言ったら誰が喜んで誰が傷ついて誰が怒るか。そんなことを365日、四六時中考えながら生きてきた。しかも子供の頃から毎日。自然と人の顔色を伺うだけでその人が欲しい言葉を紡ぎ出せる能力は鍛えられる。だから自然と人の気持ちに対して考えることの項目が増えるのは自然なことなのだと思う。

それは違う言い方をするとコミュニケーション能力が鍛えられたということ。人の気持ちを慮ることが得意。というか、そうせざるを得ない。生きていくためには。それは今となっては非常に有り難いことだったと思う。


私の場合はそれが自分の仕事である接客業にとても役に立っているので良かったし、長く続けられた理由だと思う。それこそが私の「強み」というものなのだろうとも思う。

人と話すことによって、あるいは人の話す言葉によって自分のことがわかってくることがある。自分のことを深く知ることは、人とのバランスを取る上で不可欠なこと。自分という人間がわかっていなければ、周りとのバランスを取りようもないのだ。

文章に書き残したり言葉に出すことは、自分という人間を深く掘り下げていく。思考癖や重きを置いていることへフォーカスすることでより一層自分を知っていく。それは自分の得手不得手を知ることもあり、現在もしくは将来においての欲求や希望を明確にすることでもある。

自分をもっと知りたい。だから私は文章を書くし、それを声に出してみたいと思った。

新たな挑戦は、自分探しの旅。

手探りではあるけれど、あくまでも楽しみながら少しずつ進んで行けたらと思っている。

明日から、どうぞよろしく。





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