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ちょっとヤバめ? 私は難儀な女。


ここnoteで記事を書くようになって二年以上が経った。

ここには人の感情の動きに敏感で、心優しく、毎日を思慮深く丁寧に生きている人が多いような気がする。

なんなんでしょうね。その文章に人への優しさや思いやりや温かさが溢れている人がたくさんいて、その文章を読むことによって更に人への思いやりが増していく様を日常的に見ているからなのか、本当に素敵な人たちがたくさんいて。

そんな中、zoomで顔を見て話したり、時には実際にお会いしてお近づきになった人たちもいる。そしてさらに企画を通して深く通じ合える言葉のやりとりに恵まれる日々。これまでの私の人生においてこの2年間は奇跡的な出逢いの連続だった。

だからかなんなのか、従来の自分の世界に戻った時のギャップが凄まじく。

今までこんなに日々ストレスの連続の中で暮らしていたのかと、気付いてしまったわけですね。はい…。

noteの中にいると、本来の自分を思う存分出せて、そんな自分を手放しで認めてくれたり褒めてくれたり共感をいただいたりと、まるでその時間は天国なわけです。元々、「書くこと」が好きな人たちの中にいると、最初から受け入れ態勢で読んでもらえる。自分も書くから、書く人へのリスペクトや読んだ文章から何かを受け取ろうという下地があるように思うんです。


それって現実に出会う実際の自分の身の周りにはなかなかいない人たちだと思いませんか?主にそれは仕事場においての人間関係の話です。

私の周りには「文章を書くのが好きだ」という人はいません。だから私がこうして投稿サイトに二年以上も文章を書き続けているなんぞ、誰一人想像することはないと思います。

そして日々その人たちと関わる中で、意思疎通ができていなかったり、理解し合えていないことが山ほどあって辟易してしまうんです。


なぜ毎日のように会って話してるのにこんなに分かり合えないんだろう。

なぜこんなに近い存在なのに好きになれないんだろう(てか、嫌いなのになぜ毎日一緒にいるんだろう?)

その二つの世界の熱量の差に驚きと戸惑いを隠せないでいます。

これは何かを得るための修行なのだろうか。。。そんな風に思うこともしょっちゅうです。

ストレスなく、好きな文章の中で好きな人たちに囲まれたnoteの世界はどこまでも自由で楽しい。日々学びがあり、自分がその人たちや文章に触れることによって高みへ登れることが奇跡でもなんでもなく必然だと思えるほどに。

反面、現実の世界は容赦なく毎日目の前に突き付けられる。なぜ私は日々こんな人と一緒にいるんだろう。これはなんの修行ですか?と聞きたくなる。それほど気が合わない、というか表面上は必然的に合わせているので相手にはわからない感情の起伏をひた隠しながら、心がいつも疲弊した状態の毎日をなぜに私は過ごしているんだろう?とついつい真面目に考え込んでしまう時があります。

それが本当の現実。世の中には訳のわからん理解不能な人たちがたくさんいる。その中でなんとか自身の精神を奮い立たせ、なんとかやり過ごし、なんとか辻褄を合わせるように必死で溺れそうになりながら泳いでいます。


それでも時々、「もう嫌だ!」と放り出したくなる時がある。もちろんそんなことはできないからグッと堪えて我慢するのだが、その状況に身を置かなければならないのは、きっと私の前世の行いが悪かったことによるカルマのせいだとか因果応報なのだと思って無理やり自分を納得させたりしている。でもそれは本意ではないので一体何にその理由を見出せばいいのかわからなくなってしまう。

幸せを感じる裏に不幸がある。不幸なんて言葉を口に出すのは嫌なので言わないが、自分の生活の本筋がこんなに自分の意思とはかけ離れていていいのだろうかと非常に憤りを覚えたりするのだ。何度も言いますがそれは仕事場においての人間関係の話です。

皆さんはそのようなことはありませんか?

ここは天国です。好きな人たちで溢れています。


人との繋がりは本来「愛」と「尊敬」でできていたんだと思わせてくれる場所。

そして現実の世界はそんな風に思える人の何と少ないことか。

このギャップを何と捉えるか。どう自分を納得させるか。


そして本来自分が望むリアルの世界は一体どこにあるのか。それを追求すべきなのか。今の現状に満足し、自分を無理やり納得させてこれからも嫌いな人と一緒に過ごしていくのか。

答えは出ているのだがさまざまな現状の都合で動けないことも事実。


noteに来れば楽しいことや素敵な人たちがたくさんいるからすぐに嫌なことは忘れてしまうんだけれど。

このギャップはどんどん広がってゆく気配がして戸惑う自分がいる。


私にはnoteがあるから何とか頑張れる。けれどそれはある日一瞬にして崩れ去る虚構のオアシスなのかもしれないが…。

この距離感、このギャップ、このテンションの高低差。

どのようにして折り合いをつけていくのだろう。

少し怖い気もするが、見届けたい気もしている。


本音のnote。私は本音でしか生きられない。難儀な女だ。








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