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花のような人

9月下旬の仕事帰り、noteで知り合ったある方と初めてお会いした。
7月の中頃、どうしてもお声をかけたくて、わたしがいきなりの長いDMを一方的に送りつけた。今から考えるととても迷惑な話だ。何年も前からお互いに顔見知りではあったものの、個人的なやり取りはしたことがなかった。
一言で言うと、わたしがその方のファンだったということ。
その方のnoteの文章や写真がとても好きで、頻繁には上がってこない記事や写真をいつも心待ちにしていた。

どうしてもお声がけをしたかった理由は、その方の人生がそれまでとはガラッと変わったことをnoteで知ったこと。決断の理由はもちろんわからなかったが、その文章を読んでいてどうにもこうにもじっとしていられなくなってしまった。
こんなことはこれまで一度も経験したことがなかった。正直、自分でも戸惑った。

DMに長文レターを書いたものの、やはり送信するのはやめておこうかと数分悩んだ。相手はいい大人だ。赤の他人がどうこう口を出してくるような問題ではない。その方の人生はその方のものだし、こうして結論を出されたのだからそれを読んで「そうでしたか、大変でしたね。これからも応援してますので頑張ってください」とだけ伝えれば済むことだ。

しかしどういうわけか、放っておけなかった。むずむずと心が動き出した。ザワザワと心が騒ぎ出した。その方の心の内を想像して、いてもたってもいられなくなってしまった。飛んでいって抱きしめたくなった。もちろんそんなことはしないけれど、心は飛んでいった。間違いなく飛んだ。

その文章を読んだとき、自分の中に経験のある悲しみや戸惑いや絶望や諦めのような感情が、一気に蘇ってきた。そしてそれを消化するのにどれだけの時間がかかったかを考えると、今このタイミングでこの文章は書けないはずだと、勝手に思ってしまったのだ。
まだまだ癒えていないはずだ。なのにこうして“今は前を向いている“と書くことで、なんとか踏ん張るようにしてその場に立っている人を想像してしまった。

その姿を想像したらもうダメだった。涙腺が崩壊した。そんなにがんばらないでよと言いたくなった。そして勝手な長文DMを書いてしまった。

数分悩んだ挙句、思い切って送信した。
特に「会いたい」とは書かなかったけれど、とても会いたかった。
「もし必要であればいつでもお話を聞きますので、気軽にお声がけください」
そして、その方の文章や写真が大好きだということをお伝えした。

心配でならなかった。身勝手な心配だ。でも、伝えずにはいられなかった。
すぐに来た返信は、その方らしくどこまでも優しくて控えめで、そしてほんの少し寂しげだった。もう少し落ち着いたら画面越しでもいいので話を聞いてほしいと書かれていた。もしかしたらそれさえもわたしに対する気遣いかも知れなかったが、そんな風に言ってくださった。

嬉しかった。全力で聞こうと思った。
そして「ぜひ会いましょう」と返信した。
あなたのタイミングで、話したいと思うときに連絡ください、と。

そうして実現した。
これまで2回ほど画面越しにしかお会いしたことはなかったけれど、わたしはすぐに見つけられると思っていた。しかしその方からわたしが迷わないようにと、待ち合わせ時間の数分前にご自分の今日の服装と今立っている場所を知らせるDMが届いた。「見つけてください」と。

もう見つけてるよ、と思った。そんな風に優しく繊細な心遣いができる人なのだと思うと、また心がじわんとした。

初めてお会いするのに初めてじゃない気がするってことは割とよくあることなんだけれど、ここnoteで知り合った人とは毎回そう思う。
それはこれまでにお互いの文章を読み合うことでその人となりや思考を知ることで感じ取っているものがあるからだろうと思うけれど、その深さや浸透具合は人それぞれで、受け取る側の状態や読み込む姿勢によっても大きく変わる。

その中でも、という人は確かにいる。
そしてお会いしてみて思った通りの方だったことに心から安堵した。
そしてお話しできて本当に嬉しかった。
たくさん開いてくれた。たくさん出してくれた。
そして、今の状態がわたしが心配していたものとは大きくかけ離れていて、とても前向きで明るいものだと分かって本当に嬉しかった。
何より、その花のようにかわいらしい笑顔がわたしの心を丈夫にした。
あ、大丈夫だ。心配などいらなかったんだと。

あの時思い切ってDMを送ってよかったと思った。
今後を見守りつつ、心から応援し続けたいと思います。

あとはこれまでに関わってくれた人たちに感謝して、思いっきり羽ばたいてください。あなたにとって全ては必要な出会いであり、必要な時間だったのだから。

久しぶりに上がってきたその方が撮ったお花の写真を見て、以前と違う心のフィルターに通されたその景色にとても落ち着いた大人っぽさを感じた。
そして、わたしの推しの歌の歌詞が心に浮かんできた。




枯れていく 今この瞬間も
咲いている すべては溶けてゆく
何が出来るのだろうか
誰を生きようかな
みんな儚い みんな尊い

しわしわに萎れた花束小脇に抱えて
永遠に変わらぬ輝き探してた
僕らを信じてみた 僕らを感じてた
咲かせにいくよ 内なる花を

さりげなく思いを込めてみる
やむを得ず祈りを込めてゆく
いつまで迷うんだろうか
いつかは分かるよな
誰もが一人 全ては一つ

いろいろな姿や形に惑わされるけど
いつの日か 全てがかわいく思えるさ
わたしは何になろうか どんな色がいいかな
探しにいくよ 内なる花を

My flower’s here


藤井風 「花」

#エッセイ #出逢い #手紙 #人生 #応援 #感謝




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