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「経験すること」の豊かさ

昨日、この嶋津さんの記事を読んだ。

「心に残すこと」の本質について対話したいと書いてある。非常に興味深い。

私は半世紀以上になる人生を歩んできたが、若くて感性鋭い瑞々しい時代が今のような溢れる情報社会でなかったことをある意味良かったと思うことがある。

それは娘や息子が、生まれたときから当たり前にあるインターネットの世界で生きてきたのを間近に見ていて、自分が見てきた、感じてきた、歩いてきた人生と余りにも違うと感じることに起因する。


「コミュ障」「オタク」「メンヘラ」なんて言葉は無かったし、二次元やバーチャルの世界に入り込んで出てこられないようなことも聞いたことがなかった。

家族や近所の人や友達など、自分の身の周りの人達とのコミュニティのなかで生活し、その人達との間でコミュニケーションを取りつつ自分の考えや価値観を少しずつ築いていった。何か知りたいことや困ったことがあったらまず周りの人達に聞くか本や新聞や図書館に行って調べた。

今はスマホに向かって問いかけると即座に答えてくれる。ググるとその答えだけでなくその先の関連する事柄まで出てくる。そこには生身の人間とのコミュニケーションはない。そして出てきた答えは「間違いではない」ので疑問は生まれない。そこで完結する。


私の時代は聞く相手はスマホではなく人だった。この「聞く」という行為自体、よく考えるととても頭を使うことなのだ。


子供の頃は一番身近な信頼のおける親や祖父母、年上の兄弟姉妹、もしくは近所の大人達や学校の先生などに聞いた。

出てきた答えはグーグルとは違って間違っていることも多分にある。そこで現実が待っている。親や信頼している周りの人達に聞いたことが間違っていて、それによって自分が失敗するという経験をする。そこで一つ学ぶ。「親(その他の信頼している人達)のいうことは全てが正解という訳ではない」ということ。

大人になってくると「この疑問はあの人に聞こう」「あの心配事はこの人に相談しよう」という知恵がついてくる。培ってきた人間関係のなかで誰に何を聞けば(相談すれば)自然に効率よく答えを引き出せるかの方法を身につけていく。

聞き出した答えを一旦自分のなかに落とし込み、「いや、でもちょっと違うんじゃないかな」という疑問を持つこともある。そしてセカンド・オピニオンよろしく幾人かの違った意見をもらうために質問の仕方を変えてみたり、捉え方の角度を変えてみたりと臨機応変に頭を使って試行錯誤しながら結論を探していく。

そうして様々な意見を取り入れて、考えることによって自分なりの答えを導きだす。


たとえそれが間違っていたとしても。これが自分の答えだ、ということを「選択する行為」こそが大切なのではないかと思う。


そこには自分なりのポリシーがあり、納得の上で選んだことで得られる満足感、言い換えれば今よく言われるところの「自己肯定感」というのが育まれる。

そのことでたとえ失敗したとしても、自分で納得して選んだ答えだから後悔がない。誰の責任にもしなくてすむ。

この「誰のせいにもしなくてすむ」というのは生きていく上でとても重要な気がする。

人に言われたことを鵜呑みにしたり言いなりになることは楽だし簡単だ。自分が苦しんだり悩んだりして導きだすよりずっと簡単に答えがもらえる。しかしそれに従った結果、思うような方向にいかなかったとき、それは他人のせいになる。責任が自分にないと思うことは、一瞬自分にとって楽なように思うかもしれないが、「あの人のせいだ」という感情は執着を生む。執着するということは自分が何者かに、あるいはある事柄によって支配されるということ。それは自分の人生を生きていないということなのではないだろうか。

他人の思考によって振り回されたことを悔やむ人生なんていうのはとても勿体ない。人生は限られている。時間は永遠ではない。一分一秒でも、自分の意思ではない時間を過ごすことの無意味さを、この年でやっとわかってきたように思う。


インターネットが普及して情報が溢れ、間違いではない答えをいつでも手に入れることができるようになった現在、私たちが一番なくしてしまったものは「考える」ということなのではないかと思う。

そして「失敗する」ということも格段に減ったのではないかと。一見良いように思うがそこには「経験する」という貴重な体験が含まれているのを忘れてはならない。

正しい情報はもちろん役に立つし助けられることがたくさんあるけれど、道に迷ったり怪我することがないとわかっている舗装された安全な道路をすいすいと最短距離で進んでいった先に到達する景色と、険しいデコボコ道をあっちへ進もう、こっちの道がいいかもしれないと試行錯誤しながら、ある時は人に訪ねたり地図を見たり雲の流れを読んだりして苦労しながら(時には引き返して時間ロスしたりしながら)自分の頭で考え、人と関わりながら様々な経験を積んだ先に到達した景色の見えかたはきっと違うんじゃないかな。それをどちらがいいとか悪いとかは言えないけれど、そうやって積んできた「経験」こそが人生の醍醐味であり、様々な答えを導きだすために必要な思考の訓練になるのではないかと思う。

今の世の中で必要なこと。それは「自分で考え、疑問を持ち、選び、経験し、心に蓄える」ということなのかなと思う。


溢れる情報は物凄い速さで私たちの目の前に次々とやってくる。そして使われなかったものはどんどん過去に葬り去られる。それらは心に残らずあっという間に忘れ去られていく。


私の頭が賢くないのと拙い文章力ではなかなか伝わらないかもしれないけれど、嶋津さんの記事を読んでそんな事を考えた。

便利になった代わりに、たくさんの経験をスルーしてきたことによって、本来ならば心に残るはずだった素敵なあれやこれや。役立ったりお金になったりはしないかもしれないけれど、自分だけの価値観を作り上げる上でとても大切なものだったかもしれない。そう思うと古い人間と言われても、私の心は豊かだよと自信をもって言える気がする。




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