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息子の「ちょうどいい」が好き

息子は少食だ。

別に体が小さいわけでもなく、胃腸が弱いわけでもない。いたって健康優良児な24才。身長(174センチ)の割に体重はかなり軽いが(多分私と同じ)健康に問題は無い。

昔から食べることにあまり関心がない。というか、美味しいものには反応するし食事を出すと、好きな味には「これ美味しいな」と感想も述べる。しかし自分から食べようとしない。お腹は空いているのに食べようとする意識がお留守なのだ。

もしかするとこれは生まれ持ったものなのかもしれない。まだ言葉も話せないベビーカー時代、ミルクしか摂取するものが無かった時、赤ん坊というのはお腹が空くと泣いて訴える。それしか手段はないからだ。腹ぺこでも渾身の力を振り絞って泣き喚く。でないと生命の危険に晒される。しかし息子は違った。お腹が空いて泣くということは記憶にない。というか、いつも穏やかでお腹が空こうが眠かろうが、泣いて訴えるということが無かった。なに?禅の境地か。

それは多分私が先回りして、息子が極限状態になる前にミルクを与えていたのだろうし寝かせるために抱っこをしていたからなのだろうけれど。しかしそれにしても「腹へった!」と言われた試しがない。何故だろう。それは食よりも遥かに高い感心ごとが他にあるからだ。多分。

育ち盛りの高校生時代、息子は軽音楽部に所属していた。持ち場はドラム。音楽のセンスは自分の息子ながらとても良く、それまで楽器など何も触ったことはなかったはずなのに感覚でこなしていた。譜面は読めないので耳コピだ。土曜日は授業が午前だけなので、お弁当を持っていって午後は部活に励む。夕飯前に帰ってきて「ただいま!」と言ってお弁当箱を出すのだが、その時初めて気がつく。「あれ?なんか重いな。あ、食べるの忘れてた!」またかよ。。。

ということが何度かあった。夢中になるものが脳内を占めると腹の減り具合は忘却の彼方へといざなわれる。朝ご飯から十二時間あまり、何も食べないということは息子の場合よくある話だ。なに?断食道場か。

息子は家にいる時間、ほぼ自分のPCに向かっている。絵を描くし音楽を作るしゲームを作っている。前にも書いたが無料のゲームサイトに投稿していてそれは別に仕事ではない。気分転換と体を動かす目的でアルバイトはしているが、毎日ではない。なので基本、自分の好きなことをして生きている。

夢中になるものがあると人は満足のあまり他への関心が減るのは分かる。しかし生命維持のための「食」は文字通り別腹であって然るべきだし普通そうでしょう。なのに放っておいたら一日何も口にしない。食への関心がお留守なのだ。たまたま私が休みで家にいる時は「ねぇ、お腹空かないの?なんか食べる?」と声をかけると「うん、そうだね」などと、心ここにあらずのとぼけた返事をしてくる。仕方がないのでチャーハンだのオムライスだのを作って差し出すと、突然目の前に現れた食べ物に対してアハ体験をしたように驚き、「ありがとうございます」と深々と頭を下げて黙々と食べる。そこで初めて「あぁ、やはりお腹が空いていたんだな」と認識する。


息子がベビーカー時代のことを思い出す。遊園地に連れていって一日遊んでハッと気がついたのだが、途中お茶やジュースを与えてはいたものの、朝飲ませたっきり授乳を忘れていたことがある。慌ててミルクを作って与えると、ジュージューとすごい音を立てながら一気飲みした。中身がなくなって空になっても哺乳瓶を離さず、空気をシューシューと吸い込んでいるのを見て泣きそうになりながら笑った。ごめんごめん、忘れてたよ。でもなんで泣かないん?そんなにお腹空いてるのに。


今日もお昼の時間になって「なんか食べる?」と聞くと「うん、そうだね」といつもの気のない返事が返ってきた。冷蔵庫を開けると卵がない。チャーハンもオムライスもできない。仕方がないので冷凍唐揚げをチンして小さく切り、ウインナーと玉ねぎも入れたケチャップライスを作った。

「はい、どうぞ」

「おぉ、ありがてぇ!

・・・うまいなぁ、これサイコー!・・・」

「もう少しあるよ、おかわりする?」

「・・・いいかな? ちょうどいい」


息子はおかわりをしない。腹一杯になると眠くなって作業ができないらしい。だからだと分かってはいるが、うまいうまいと言いながら「ちょうどいい」と満足げに食事を終えて「ごちそうさまでした」と手を合わせる。ある意味安心と信頼の証だ。お腹いっぱい食べなくても、腹減りの極致でも、絶対に母は見捨てず、いつか必ず何かを提供してくれると信じて疑わないこの安心感。この無防備加減。そんなこと考えているかどうかは分からんが、こういう返事を聞くとこの子の持って生まれた精神の在り処を目の当たりにしているような感覚になる。そうか、こうして私はこの人に永遠に“捧げ物“をしていくお役目を持って生まれてきたのだと悟る。なに?前世の恩返しか。

別にそこには何の感情も介さない。ただそのことを受け入れる私がいる。そして捧げものを受け取る息子がいる。それだけだ。いたって自然なこと。

欲がない、と言えば聞こえはいいかもしれないが、私は息子の言うこの「ちょうどいい」が好きだ。次もいつかきっと捧げてくれると信じて疑わない存在に、私自身が一種の安心と平穏を頂いている気がしてくるから不思議だ。

何が言いたいのか自分でもよくわからないけれど、まぁそんな感じ。息子は今日もマイペースに生きています。

#捧げ物 #息子 #ちょうどいい #食事 #安心 #信頼 #エッセイ


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