【エッセイチャレンジ24】母のぼやきとゴミ箱と。
夏休みに入って10日が経った。
とは言っても先週までは夏休み教室があり、私はその指導員として、長男も参加するためにふたりして8:00に家を出ていたので、ほとんどいつも通りの朝風景。むしろお弁当作りが追加されるので慌ただしいくらい。
慣れないお弁当作りは圧倒的経験値の低さゆえ、赤といえばタコさんウィンナーかミニトマト、緑は枝豆かきゅうり、黄色は卵のローテーション。それでも、おまけにゼリーをつければ喜んでくれる長男の単純さに心から感謝したい。
(知ってます?今、蒟蒻ゼリーってコーラ味とかあるんですよ…)
規則正しい生活を守る、という点ではまずまずの滑り出しだが、まぁとにかく家が片付かない。
鉛筆、肌着、マスクのどれかは必ず落ちている。
常に片付けているので、新たに見つけると「え?デジャブ?」ってなる。そして子供を叱ると「あれ?さっきも言ったよね?デジャブ?」ってなる。
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まだ季節が夏を迎える前、家族で登山をした。とは言っても東京の端っこのゴリゴリに観光化された山で、ご当地グルメの屋台なんかもそこいら中にある。半ば食べ歩きが目的のようなものだ。
案の定、道中でお団子やら肉まんやらを見つけるたびに子どもがせびるので、これじゃあ景色の良いフードコート状態だな…と思いつつ、やっぱり自然の中で食べるごはんは特別である。もちろんお酒も。
木陰の岩に腰を下ろし、食べ終わった肉まんの包み紙を捨てようとお店のカウンターへ戻ったとき、私の心を惹きつけた言葉があった。
『護美箱』
美しさを護る箱ーーーごみばこ。
なんて素敵な響きであろう。
達筆なスタッフさんが書いたであろう筆字が貼られた茶色い木箱は、木漏れ日に佇む姿も相まって私の心を鷲掴んだ。
私はハッとして、皮や餡がこびりついた肉まんの底紙を内側に隠すように丁寧に折り込み、箱から溢れ出ることのないよう押し入れた。すでに箱に収まっているそれらも、どことなくかしこまった様子で、押し合うことなくしっかりと重なり、あるべきところにある。これぞ『護美』といった風情だ。
たった3文字の当て字が、ゴミを捨てるという行為を高尚なものへと昇華させていた。
***
我が家のリビングに続きの子供部屋に置かれたゴミ箱は、私がインテリアショップで購入したものだ。艶消しされたプラスチック製で、白木の木目がリアルで適度な重さがある。
以前はIKEAの300円くらいのものを使っていたが、すぐ転がるのが煩わしく、そこそこの値段を出して買い替えたはずだ。
転がりこそしないが、最近では部屋の隅に寄せられて埃をかぶってしまっている。
工作好きな息子たちは日々キッチンに侵入しては、牛乳パックやら、卵トレーやら、ティッシュ箱やらを物色し、制作活動に励んでいる。もちろんたくさんのゴミが出るが、彼らはいつも作業台代わりの長テーブルに置き去りにする。
私はたちまち「ゴミはゴミ箱!!」とお決まりの叱り文句を叫ぶのだが、いやいや、これは本来『美しさを護る行為』だったはずだ。
ゴミ拾いは自発的にするから美しい。怒りに任せて叱りつけるなんて、美しくない。
それに、子どもたちがかつてゴミだったものから作る喜びを学んでいるのだと思えば、なかなか悪くない。母として好奇心あふれる子どもの美しい感性も大切にしてあげなければ。
まだ漢字の読めない彼らに代わり、私が隅に追いやられた『護美箱』の本来の役目を果たしてやろう・・・
とは思えず、今日もイライラを募らせる酷暑の昼下がりである。
夏休みの子どもをみるお母さん方。
さあ、ご一緒に。
「ゴミはゴミ箱!!!」
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