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【学級支援員日記①】冷たい廊下とスパゲティ

私が支援に入っている学校にゴウくん(仮)という子がいる。
10歳の男の子で、工作が大好き。最近は厚紙を使って消しゴムケースを魔改造することに忙しい。脱いだコートの両腕はもれなくひっくり返っているといる。ちょっと口が悪い。よくいるタイプのやんちゃな男の子だ。

そして少しばかり…というか、かなり多動と衝動性が強い。集中力を保つために人より多くの体力を必要とするのだろう。

45分間きちんと自分の席に座っていられる教科は図工だけ。
基本的には友達の席で立ち話し→先生に注意される→廊下で遊び出す→飽きたら友達の席へ戻る…をループする。
しかし、これは「1時間目」「2時間目」の話。まだまだ序の口だ。

「3時間目」「4時間目」になると、私語が止まらない。それがおしゃべりなんて可愛いものではなく、ほとんど「決壊」。
ベタな表現だが、壊れたダムから勢いよく水が噴き出すように、脳内に思い浮かんだ些末なことさえも濁流がすべて攫いだして口から噴出している感じ。なんていうか、もう口が勝手に動いちゃってて自分でも止められないのだと思う。本人も疲れるだろうな…。
だから、教室を飛び出して校内を徘徊することでバランスを取っている。彼なりの自己刺激運動なのだろう。

「5時間目」「6時間目」になるとストレス値はピークとなる。衝動性は暴力や暴言、パニックといった行動となって現れてしまう。

幸いゴウくんは小柄で力はそれほど強くない。しかし、頭に血が上ると物を投げてしまうのだ。
ご存じの通り1クラスに30人の子どもたち&人数分の机と椅子があるのだから、教室は常にぎゅうぎゅう。物を投げられた子が運良くかわせても、大抵誰かはとばっちりを受けることになる。まさに『石を投げれば坊主にあたる』状態。

素人目から見ても明らかに発達障害だと思うのだが、まだ療育機関の受診待ち。適切な支援が受けられていない状況が続いている。

***

3学期に入り、明らかにゴウくんの症状が悪化した。もう、目が違うのだ。まろやかな印象だった幅広二重をこれでもかというぐらい吊り上げ、黒目は焦点が合っていない。幼さを残した薄い肩越しにもわかるくらい、イライラを立ち上らせている。狂気じみたその様子は、怖いというより痛々しかった。

先生によればゴウくんには名門高校への受験を控えた、年の離れたお姉さんがいるらしい。ご両親は大切な時期にやんちゃなゴウくんが家で走り回ることで、受験勉強に差し障ることがあってはいけないと思ったようだ。
お姉さんが集中できる環境を作るために、ゴウくんも学童や習い事の時間を増やし頑張っているらしい。

ゴウくんは2週間のうちに、友達に物を投げて2回ケガをさせてしまった。校長室に呼ばれること3回。お母さんの呼び出し1回。友達との喧嘩や授業妨害は数えきれないほどだった。

***

私も勤務時間の7割をゴウくん対応に充てていた。
少しでも状況が改善されればと、発達障害児に関する書籍を再読した。
ゴウくんが授業に集中しやすいよう一緒に机周りの環境を整えたり、
それでも席につけないときは教室の後ろで立ったままドリルを開いて問題を解いたり、
あるときは大好きなゲームの話に永遠と付き合ったりした。

だが、私は週何日という契約で教室を訪れる支援員だ。教室は普通学級である。始まりから終わりのチャイムまでしっかり席に座って授業を受けられる子もたくさんいる中で、ゴウくんばかりを特別扱いすることはとても難しい。担任の先生の考えもある。

「ゴウくんの気持ちに寄り添ってあげたい」
「先生方がスムーズに授業を進行できるようサポートしたい」
「クラスメイトや他クラスへの影響を最小限に留めたい」

これらは相反する部分が多かった。

***

この日も私は教室を飛び出したゴウくんを追いかけていた。
冬の廊下は冷たく、もの悲しい。古くやたら大きな窓から射す日差しもどこかくすんでいる。黄色っぽい日が射す廊下を、ゴウくんは小さな身体で器用に逃げた。のろまな中年を撒くことなんて容易いことだろう。

だが、私が追いついたところで、力づくで教室に連れて行くことは出来ない。子どもとはいえ全力で暴れられれば本人のケガにつながる。何よりゴウくんの自尊心を傷つけることにもなるし、信頼も失う。
だから当然言葉で教室へ戻るように説得しなければならないのだが、正直、勝敗は五分五分だ。耳を傾けてくれればまだラッキーな方で、ちらりと一瞥くれただけで脱兎のごとく走って行ってしまうことの方が多い。ほとんど遊ばれている。
これが日に10回は繰り返されているのだ。無力感を覚えずにはいられない。


私がやっていることに、意味あるのかなぁ。
そう思ったら足が止まってしまった。


達筆な文字で書かれた「ろうかは歩こう」の白い紙が、特に暗い一階校舎の廊下から浮いている。鈍く輝くステンレス素材の手洗い場は寒々しい。

自分が立っている場所をぼんやりと眺め、視線をつま先に下ろした。そのまましばらく立ち止まっていた気がするが実際は5秒程度だろう。
私は踵を返し、足早に教室に戻った。

3時間目、ゴウくんは一瞬たりとも席に着くことはなかった。

***

次の授業の準備をしていると、ゴウくんが教室に戻ってきた。追いかけることを諦めてしまった申し訳なさと、わかりあえない悲しさを悟られないよう、努めて普通の調子で声をかけた。「ゴウくん、おかえり。」

ゴウくんは足を止めず、すれ違いざまにこう言った。


「ずっと昇降口にいた。」

***

ゴウくんはたぶん、追いかけてきてほしかった。
冷たい昇降口で乾いた校庭を眺めながら、諦められてしまったことを悟ったのかもしれない。


「ゴウくんばかりに構っているわけにはいかない」
「気が済んだら自分で戻ってくるだろう」


追いかけるべきか逡巡したとき、そんな気持ちが確かにあった。
でもこれはゴウくんのことを考えてのことだったのだろうか?

長く教室を空けることで担任の先生の目が気になるとか、
相手をしやすい子たちの側という、自分が有能に見える場所に戻りたかっただけなのかもしれない。

逃げられるとわかっていても追いかけるべきだった。ゴウくんに「自分は諦められた」と思わせてしまわないように。

***

子どもの頃、自分の劇場には「私」と「相手」しかいなかった。
だが、大人になると「観客」が加わり、彼らの反応が劇場の評価を決めることになる。だから、何よりも「観客」ウケが良い演目を考えるのだ。
本当にやりたい演目は後回しで。


ここは学校。相手は子ども。
だから私は「観客」を気にすることを、もうやめようと思う。
大人の自分にとっては勇気のいることだ。
だが、今すべきことは見つめ合える距離にいる人から、視線をそらさないこと。

***

今週に入ってから、給食の準備をしないことを先生に指摘されたゴウくんは、意地になって「食べない」という選択を貫いていた。
私は思い切って聞いてみた。

「ゴウくん、もしかして教室だと落ち着かないのかな。」

ゴウくんは答えない。

「今日さ、廊下で食べてみようか?」

***

ゴウくんは「うん」と言わなかった。
また私の空回りかぁ…と思ったら、廊下にあった予備机の上にいそいそと恐竜柄のランチョンマットを敷き始めた。

それから、先生の許可をもらってゴウくんと私は冷たい廊下で給食を食べた。
感染予防対策に厳しい昨今だから、当然横並び。念のため机と机の間隔も50センチほど開けた。この距離感では特に何を話すこともない。ただ隣にいるだけだ。

でも、ゴウくんは3日ぶりに給食を完食した。それどころかスパゲティをおかわりした。
ゴウくんが給食の時間ずっと椅子に座っているのはかなり久しぶりのことだったし、小食な彼がおかわりをするのは、私が来てから初めてのことだった。

時折、手を洗おうと教室を出てきた他のクラスの児童や先生がギョッとして、遠巻きにじろじろ見ているのがわかる。でも、これでいい。

いつもより冷たいスパゲティは、なかなか美味しかった。

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