見出し画像

紛争・開発・ジェンダー:コロンビア/パナマ国境地帯の先住民族トゥレ

※本稿は、2018年に作成したものに修正を加えた。尚、民族名称のトゥレ(Tule)は、クナ(KunaもしくはCuna)とも表記されるが、Morales Gómez(1992)によると、Tuleがより正式であるとされる(Morales Gómez 1992: 65)。そのため本稿ではTuleを用いる。また本論においては「トゥレ民族」ではなく「トゥレ」と表記する。

はじめに

半世紀以上に渡って国内紛争が継続しているコロンビアでは、非常に多くの国内避難民が発生してきた。国連難民高等弁務官事務所(Alto Comisionado de las Naciones Unidas para los Refugiados: ACNUR)の報告によると、2015年には、コロンビアの国内避難民は総計で約690万人となり、シリアを抜いて初めて世界第一位となった。そして、コロンビアで最大の武装勢力であるコロンビア革命軍(Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia: FARC)との和平合意が成立した2016年においても、国内避難民の数はさらに増加して約740万人となった。

国立データネットワーク(Red Nacional de Información: RNI)の被害者統一登録簿(Registro Único de Víctimas: RUV)によると、2017年の間に生じた国内避難民の数は54,684人であった。そして、国内避難民の数が最も多かった県は、コロンビア北西部、パナマと国境を接するチョコ(Chocó)県で9,684人であった。

全国紙エル・ティエンポ(El Tiempo)の報道によると、エクアドルのキトでコロンビア政府と民族解放軍(Ejército de Liberación Nacional: ELN)の停戦合意が取り決められたにも関わらず、チョコ県は、FARCの解体以降、ELNとクラン・ウスガ(Clan Úsuga)の間での戦闘の舞台となっており、約1200人の先住民族が国内避難民化し、先住民リーダーの殺害や行方不明事件が起こっている(El Tiempo 2017)。

本稿は、FARCとの和平合意が完了した今も紛争被害を受け続け、多くの国内避難民を生んでいるチョコ県の先住民族トゥレ(los Tule) を主題として取り扱う。トゥレが直面している開発問題を例に挙げながら、政府や企業と先住民の考え方の相違によって生じる、開発プロジェクトを進める際の問題点について言及する。また、トゥレの宇宙観(コスモロジー)に基づいた性分業からは、ジェンダーの捉え方の普遍性について考察する。それらのことから、先住民族の「自己」による決定に基づいた「内側」からの変革の必要性について述べる。

1. トゥレの基本情報と紛争被害

コロンビアのトゥレの多くは、チョコ県のウンギア(Unguía)市とアンティオキア(Antioquia)県のトゥルボ(Turbo)市の、ウラバ湾(golfo de Urabá)の沿岸地域に居住しているが、その居住域はコロンビア国内のみならず、国境を越えたパナマにもまたがっている(Morales Gómez 1992: 68)。トゥレの人口は、コロンビア国内では2,383人である(DANE 2005)。トゥレの女性たちの民族衣装としては、自然物を象ったものや幾何学模様のデザインを施した、刺繍の手工芸品モラ(mola)が有名で、観光資源にもなっている。

チョコ県における紛争は、1990年代より激化していった。その頃から、FARCに対する政府軍の戦線が、太平洋岸地域とエクアドル国境地帯へと押し下げられていったことが要因である(幡谷 2016: 265)。

パナマと国境を接するウンギア市は、地政学的に重要な地域である。森林・鉱物資源が豊富で、その豊かさが非合法武装組織の注意をひきつけることとなった。2000年から2001年にかけて非合法武装組織が、トゥレの居住地域のジャングル地帯に侵入し、殺戮・性的暴行・脅迫などをおこなった。2009年には、国の憲法裁判所が政府に対し、トゥレを含む絶滅の危機にある34民族の保護措置を講ずるよう要請した(Fontanini 2010)。

トゥレは、居住する土地資源の豊かさによって紛争被害にさらされてきたが、パナマとの国境地帯に位置することから、開発問題にも直面している。

2. コロンビア・パナマ間国際送電網の開発計画

コロンビアでは水力発電が主流で、全体の4分の3を占める。インテルコネクシオン・エレクトリカ(Interconexión Eléctrica S.A.: ISA)が国内最大の送電会社で、全送電システムの約7割を制御している(桑原 2011: 157)。

水力発電は火力発電に比べて低コストであるため、安価で競争力のあるコロンビアの電力事業はパナマや、さらには中央アメリカでの需要も見込める。そこで、パナマや中央アメリカに向けた売電事業に乗り出すため、コロンビア/パナマ間を繋ぐ送電網の開発計画が立てられた。しかし、この送電計画はこれまで約10年にも渡って進められてきたが、いまだ実現には至っていない(Ahumada Rojas 2017)。

2016年9月、トゥレの居住地域を通過する送電ルートの開発計画について、コロンビア政府がトゥレに対して計画の承認を要請したが、10月におこなわれたトゥレの全体総会において否決された(Arcia Jaramillo 2016a; 2016b)。

これを受けて2017年、パナマ政府は、米州開発銀行(Banco Interamericano de Desarrollo: BID)の支援のもと、水中ケーブルを用いたウラバ湾を通るルートで、コロンビア/パナマ間国際送電計画を再開する意欲を示した。ISAのベルナルド・バルガス(Bernardo Vargas Gibsone)氏は、コロンビアの安価な電力への魅力だけでなく、2017年7月にパナマで大停電が起こったという実際的な事情も計画の再開に起因していると述べる(Ahumada Rojas 2017)。

開発プロジェクトと先住民族の自決権に関する国際的な取り決めには、2007年9月に国連総会で採択された「国連先住民族の権利に関する宣言」がある。同宣言は各国政府に対し、先住民族と協議を行い、先住民族の法・組織・社会、そして祖先から伝わる知識を認めることを義務付けている(小林 2008: 69-70)。

しかし、同宣言採択の際、中南米諸国で唯一棄権したのはコロンビアであった。棄権の理由は、先住民族共同体の自治権が及ぶ範囲とその用語の定義を明確にするべきだというコロンビア政府の要求が認められなかったためである。この背景には、2007年7月に公布された法令第1152号がある。同法令は、武装解除したパラミリタリーに土地を分け与え、また多国籍企業による開発を推進するため、トゥレなどの太平洋岸の先住民保護区(Resguardo Indígena)の設置や拡張の動きを消極的にするものであった(小林 2008: 73)。

先住民族に関連するコロンビアの法律には、法令1991年第21号がある。これは、国際労働機関(Organización Internacional del Trabajo: OIT)の協定の批准を受けて制定された法律で、国際的な権利に基づいて先住民族の保護の法的枠組みを定め、協議(consulta)の理念を導入した(Pineda Camacho 2002: 92)。

しかし、コロンビアの人類学者カマチョ(Pineda Camacho)は、「協議」という用語が、行政、司法、先住民族や専門家のそれぞれにおいて異なる意味で使用され、理解されていると指摘する。ある者には単純に「伝える(informar)」という意味で使用され、また別の者には「自分たちが決定権を持ちながらも他者への配慮をすること」と捉えられている。そしてまた別の者は「一致する(concertar)」や「合意する(acordar)」さらには「協議の相手に決定権を与え、認めること」としている(Pineda Camacho 2002: 96)。

このように法律では、開発プロジェクトを進めるにあたって、先住民族と「協議」することが定められているが、立場によってその意味の解釈が異なる。また、協議に参加する対象者の範囲についても、政府や企業と先住民族では認識が大きく異なる。

トゥレは、ある開発プロジェクトによって受ける影響について協議する際、開発によって脅威にさらされうる、聖なる土地の所有者である動物や植物をも、その対象者に含めるべきだとしている(Pineda Camacho 2002: 99)。しかし当然ながら、政府や企業は動物や植物などの自然物と協議することはできない。

自然物をも開発のステークホルダーとして協議の対象に含めるべきだというトゥレの考え方は、エクアドルの憲法やボリビアの法律で採用された「自然の権利」の理念とも通じる。エクアドルでは2008年憲法に、自然に法的な主体性を付与する「自然の権利」の理念が導入された(新木 2014: 53)。ボリビアでは2010年に、法律でパチャママ(Pachamama)という言葉を用いて、自然の権利が明文化された(新木 2014: 56)。このようにアンデス地域において自然の権利が憲法や法律に導入される一方、それが「環境保全と資源開発主義の間のジレンマとなっている」のも現状である(新木 2014: 67)。

開発プロジェクトを進めたい政府や企業側と、先住民族との間の隔たりは他にもある。政府や多国籍企業による開発プロジェクトの決定スピードと、先住民族における協議の決定スピードが相容れないということも双方の歩調が合わない原因として想定される。

トゥレでは、同じコミュニティに属する各家族の代表者であるサッカ(sakka)が集まり、コミュニティ内の事項について決定する集会であるオンマケット(onmaket)が催される。そして、それぞれのコミュニティを代表するサイラ(saila)が集まって、オンマケットの上位にあるトゥレの全体総会が開催され、各サイラが所属するコミュニティの意向を伝える。その全体総会でトゥレとしての意向を決定し、行政府に伝えられる。オンマケットや全体総会では、レレオ(lereo)と呼ばれる日常の話し方とは異なる特別な話し方が用いられる。レレオは、ゆっくりと歌うように話すのが特徴で、何時間にも及ぶ。そのため全体総会が終わるのには数日間かかることもある(Morales Gómez 1992: 79-80)。

このように、行政や企業と先住民族とでは、その立場によって「協議」の意味や協議する対象の認識が異なったり、決定するプロセスや速度が異なったりする。それが要因となって、双方の間で誤解や行き違いが生じ、さらには衝突の原因ともなりうる。

3. トゥレにおけるジェンダー

伝統的なトゥレ社会では、男女で仕事の役割分担がなされる。狩猟や漁、畑を耕すための木の伐採や焼き畑は男性の仕事である。女性の仕事は、畑の作物の収穫や家での調理である。種蒔きは男女ともにおこなう。男性が仕留めた獲物は、家と森林の境界域の地点までは男性によって運ばれ、その地点から住居まで獲物を運ぶのは女性とされる(Morales Gómez 1992: 68-71)。

このトゥレの考え方は、ともすると女性を家に縛りつけているように見えるため、ジェンダーの平等の観点から、批判の目が向けられるかもしれない。国際人権論が専門の藤岡も次のように述べる。

日本では性分業といえば、女性を子産み・子育て、家事という再生産の役割に閉じ込めて選択の自由を狭め、しかもその再生産労働は正当に評価されないとして廃棄すべきだと多くの女性(および男性)に考えられている(藤岡 2004: 196)。

しかし、トゥレのジェンダー観は、女性を家に縛りつけ、再生産活動を正当に評価しないものなのだろうか。先住民族のジェンダーについて考察する上で、取り上げたい用語が「ジェンダーの主流化(gender mainstreaming)」である。

藤岡は、ジェンダーの主流化を「世界をジェンダーという視点で見るということ」とし、ジェンダーは「社会的、文化的に形成される性差」と説明する。フェミニズムの考え方では、ジェンダーは男女の不平等や、権力において非対称的で階層的な関係を生み出すものとされる。こうした考え方は、国際機関や政府などの政策にも組み込まれようとしているが、先住民族など多様な社会においても、こうしたジェンダーの考え方は普遍的に当てはまるのか、藤岡は疑問を呈している(藤岡 2004: 194-195)。

それでは、トゥレではジェンダーをどのように捉えられているのだろうか。トゥレでは、男女の役割分担は、そのコスモロジーと密接に関わっている。

女性は、火を使って調理することによって、野生動物を食事へと変化させることができる。このことから、火を使った調理は比喩的に、獲物の野生性を取り除き、自分たちの文化的な社会へと組み込む行為とされている(Morales Gómez 1992: 71)。

山や森林で木の伐採や焼き畑、狩猟や漁をおこなわないこと、獲物を自然との境界領域から家まで運ぶこと、種蒔きや収穫をおこなうこと、これら女性の役割は、こうしたトゥレの宇宙観に基づいている。

女性は出産することができるため、生命を生み出す、つまり生産の象徴と考えられる。しかし、女性は生産だけではなく、モノを変容させる重要な役割を担っている。女性は自然のモノを文化的なモノに組み入れることができる仲介者と考えられる。つまり、男性は野生や森林と結び付けられ、女性は文化や家と結び付けられる(Morales Gómez 1992: 75)。

ラテンアメリカの先住民族において共通して多くみられるのが、男女の違いを二項対立ではなく、二項の調和としてみる考え方である。

藤岡(2004)は、グアテマラのマヤを例に挙げ、「先住民族女性は男女間の均衡という考え方を重視する」と指摘し、「マヤ独自の宇宙観(コスモビシオン)が決して女性差別的ではなくジェンダー間のバランスという考え方に立脚している」と述べる(藤岡 2004: 192)。そのマヤの宇宙観を支えているのは、「男性原理と女性原理といった二元論だが、西欧的な二項対立と違って、男女の役割は区別されながらも相補的、互酬的であり、序列は存在しない」のである(藤岡 2004: 198-199)。

こうした先住民族の二元性に基づく宇宙観は、アンデス地域でも同様にみられる。コロンビア各地で見つかっている先住民族の金細工には、生物が二対になった様子を象ったものがあり、これは二元性(dualidad)を表すとされている。また、ペルーのケチュアにおいても、太陽と月、上(ハナン:hanan)と下(ウリン: hurin)など、二元性を表すシンボルや言葉があるが、双方は相反するものではなく、どちらか一方の存在が消えたら不成立となってしまう、いわばコインの裏表のような関係とされている。

藤岡(2004)は、近代化を推し進めて伝統を壊すことで女性差別をなくすことができるという考え方ではなく、それぞれ先住民族の伝統に見合ったジェンダー関係を再構築することを重視している。そして、「『伝統』=抑圧という単純な見方こそ、実はきわめて植民地主義的なのである」と指摘している(藤岡 2004: 199)。

さらに、藤岡(2004)は、「先住民族の女性たちを彼女たちの文化の犠牲者と見なす考えは、彼女たちに自らの文化を否定せよというに等しい」とし、「それこそが植民地主義が先住民族に、第三世界の人々に強いてきたことである」と批判している(藤岡 2004: 201)。

おわりに

国際的な人権意識の高まりから、先住民族の権利が認められている一方で、グローバリゼーションという均質化の波によって、固有の文化の中で生きる人々の生き方が否定されてしまうことも起こっている。先住民族の自己決定権が認められるのであれば、そこに生きる人々がどう生きたいのか、それを決定するのも彼/彼女ら自身でなければならない。少し長くはなるが、藤岡(2004)の主張を以下に引用したい。

ある伝統的慣習や制度が抑圧的であるかどうか、性的役割や性分業の仕方が差別的であるかどうかは、実際はその場所に固有の文脈の中でしか判断できない。先住民族女性の世界ももちろん一様ではない。一口に「伝統」といってもその内容は集団により、時代により大きく異なる。そこにおいて重要なのは、その場に存在し、その関係を生きている女性たち自身が、いかに主体的な抵抗や組織化や運動をしていけるかということであろう(藤岡 2004: 202)。

この藤岡(2004)の主張には、筆者も同意する。ジェンダーに限らず、「その場所に固有の文脈の中で判断する」ということは重要な視点である。

開発においても、先住民族の意思決定プロセスや決定までのスパンは、「私たち」の常識とは大きく異なることがある。しかし、先住民族の視点からすれば、そのプロセスやスパンは物事を決定するのに不可欠なもので、先住民族には固有の文脈が存在する。開発プロジェクトを進める政府や企業の文脈に基づいて、先住民族の文脈を無視しておこなった「協議」は、形だけ協議をしたという既成事実によって開発を正当化する、ただの口実に過ぎない。

ある物事が決定されたり、その変革が要求されたりする際、それが「外側」から強いられているのか、「内側」から沸き起こっているのか、その力学に注目する必要がある。普遍的な価値と個々の文脈における個別的な価値の相克は、地域研究を進めていく上でも重要な課題である。それを考えていく上でも、先住民族の「調和的な二元性」という視点が有用である。「外側」と「内側」、「普遍的価値」と「個別的価値」のように相反する二項対立関係ではなく、二項が調和した形を模索することが必要とされている。

参考文献リスト

新木秀和(2004)「自然の権利とラテンアメリカの資源開発問題――エクアドルとボリビアの事例を中心に」『人文研究』第184号、41~72ページ。

桑原小百合(2011)「エネルギー部門 進展する石油開発」(二村久則編著『コロンビアを知るための60章』明石書店、154~158ページ)。

小林致広(2008)「国連宣言採択とアメリカ大陸の先住民運動の「転回」」『PRIME』第27号、69~80ページ。

幡谷則子(2016)「グローバル市場とフェアトレードの課題――南米コロンビアの伝統的金採取業の挑戦と挫折」(甲斐田万智子・佐竹眞明・長津一史・幡谷則子共編著『小さな民のグローバル学――共生の思想と実践をもとめて』上智大学出版、255~276ページ)。

藤岡美恵子(2015)「先住民族女性、開発、ジェンダー」(上村英明監修、藤岡美恵子・中野憲志編『グローバル時代の先住民族「先住民の10年」とは何だったのか』法律文化社、182~204ページ)。

Ahumada Rojas, Ómar G. (2017) “Panamá revive el interés por la interconexión eléctrica con Colombia”, El Tiempo (2 de agosto) <http://www.eltiempo.com/economia/sectores/interconexion-electrica-de-panama-con-colombia-115568>(2018年1月18日閲覧).

Alto Comisionado de las Naciones Unidas para los Refugiados (ACNUR) (2016) Tendencias globales desplazamiento forzado en 2015, ACNUR <http://www.acnur.org/fileadmin/Documentos/Publicaciones/2016/10627.pdf?view=1>(2018年1月15日閲覧).

ACNUR (2017) Tendencias globales desplazamiento forzado en 2016, ACNUR <http://www.acnur.es/PDF/Tendencias2016.pdf>(2018年1月15日閲覧).

Arcia Jaramillo, Ohigginis (2016a) “Gobierno pide permiso a gunas para interconexión eléctrica entre Panamá y Colombia”, La Prensa (21 de septiembre) <https://www.prensa.com/sociedad/Gunas-evaluaran-interconexion_0_4579792087.html>(2018年1月18日閲覧).

Arcia Jaramillo, Ohigginis (2016b) “Congreso Guna rechaza interconexión”, La Prensa (1 de noviembre) <https://impresa.prensa.com/panorama/Congreso-Guna-rechaza-interconexion_0_4611288849.html>(2018年1月18日閲覧).

Fontanini, Francesca (2010) “Colombia’s indigenous Tule people struggle with the threat of extinction”, United Nations High Commissioner for Refugees (UNHCR) (September 22) <http://www.unhcr.org/news/latest/2010/9/4c9a0f8e9/colombias-indigenous-tule-people-struggle-threat-extinction.html>(2018年1月15日閲覧).

Morales Gómez, Jorge (1992) “Los Cuna”, en Carrizosa, Eduardo, Conrado Benhur Cerón Solarte, Jorge Morales Gómez, Elsa Astrid Ulloa Cubillos y Alvaro Chaves Mendoza (eds.) Geografía Humana de Colombia Tomo IX, Bogotá: Instituto Colombiano de Cultura Hispánica, pp.63-92.

Pineda Camacho, Roberto (2002) “Consulta”, en Serje de la Ossa, Margarita Rosa, María Cristina Suaza Vargas y Roberto Pineda Camacho (eds.) Palabras para desarmar, Bogotá: Ministerio de Cultura e Instituto Colombiano de Antropología e Historia, pp.89-105.

“Violencia deja 54.000 desplazados en 2017”, El Tiempo (18 de diciembre de 2017) <http://www.eltiempo.com/justicia/servicios/cifras-de-desplazamiento-forzado-en-2017-en-colombia-163056>(2018年1月15日閲覧).

DANE (Departamento Administrativo Nacional de Estadística) http://www.dane.gov.co/

ONIC (Organización Nacional Indígena de Colombia) http://www.onic.org.co/

UNHCR (United Nations High Commissioner for Refugees) http://www.unhcr.org/

RUV (Registro Único de Víctimas) https://rni.unidadvictimas.gov.co/RUV

【追記①】※2020年11月追記。

今、読み返してみると、植民地を経たラテンアメリカにおける文化・伝統・ジェンダー関係などについて、さらに「トランスモダン」や「脱植民地化への転回」という観点から論じてみてもよいのでは、と感じた。実際にトゥレについてフィールドワークを行っていないので、明確には言えないが、次のようなことを考えた。

例えば、現代のトゥレ社会に男尊女卑があるとして、それをトゥレの伝統的なジェンダー関係と結びつけて、それに起因するのだという見方は必ずしも正しいとは言えない。男尊女卑(マチスモ)は植民地主義の産物であって、認識論的な脱植民地化を達成することで、先スペイン期のジェンダー関係を回復させる、という考え方もありうる。そして、それが「脱植民地化への転回」となるのではないか。

<以下、追記で参考にしたもの>

長谷川ニナ(2019)「現代ラテンアメリカにおける文化・文学研究の新潮流――エンリケ・ドゥッセルの論考を中心に」(浅香幸枝編『交差する眼差し:ラテンアメリカの多様な世界と日本』行路社)163~182ページ。

Mignolo, Walter D. (2012 [2000]) Local Histories/Global Designs: Coloniality, Subaltern Knowledges, and Border Thinking, Princeton and Oxford, Princeton University Press.

Quijano, Aníbal (1992) “Colonialidad y modernidad/racionalidad”, Perú Indígena, 13(29).

【追記②】※2021年11月追記。

一方で、地域によっては伝統が束縛を強いている状況ももちろん存在する。重要なことは、その地域の文脈を理解した上で、その伝統が「束縛(抑圧)」の状態を生んでいるのかどうかを考えることなのだろう。その際は、現地の人びとだけでなく、また外部者だけでもなく、どちらか一方に偏らずに双方が共に考えることが求められる。言うは易し行うは難し、かもしれないが…。

【追記③】※2021年5月13日追記

追記①で「男尊女卑(マチスモ)は植民地主義の産物であって、認識論的な脱植民地化を達成することで、先スペイン期のジェンダー関係を回復させる、という考え方もありうる」と書いたものの、はたして、それは有効なのだろうか。

先スペイン期の先住民社会においても家父長制はあり、それが西洋由来の家父長制と結びつき、現代の家父長制を作り上げているという、ラテンアメリカのフェミニズムからの指摘・批判がある。先スペイン期の先住民共同体におけるジェンダー関係を理想化することには危うさがある。脱植民地化すれば、脱家父長制が同時に達成されるわけではない。

追記③の時点で、筆者は、そのラテンアメリカのフェミニズムからの批判は正当なものと考えている。

<参考>

廣瀬純(2021)「採掘主義と家父長制―現代ラテンアメリカのフェミニズム―」思想、No.1162、60~77ページ。

真心こもったサポートに感謝いたします。いただいたサポートは、ワユーの人びとのために使いたいと思います。