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統合失調症とわたし ④

さて、今からは高校卒業後の話を書こうと思います。

私の高校卒業時代というのはバイトが一番の流行りでした。

同じクラスでも、40人中の何割が学校から就職したのでしょう。三人?四人?そんな感じでした。

その他の30人以上は皆、それぞれバイトで食い繋ぐことになりました。そして私はと言えば、父の紹介で父の働く会社のパートという形で卒業後の進路はそうやって決まりました。

今から思うことですが、あのままあの会社のパートを辞めずそのまま勤めていたら確実に人生は変わっていた。そう言い切れるほどに、とてもいい会社でした。タイムスリップがもし出来るのだとしたなら、私は迷わずそこの時点へ行くでしょう。行って「このバイトは止めるな!絶対にだ!!」と忠告しに行くでしょう。そんな、バイト先でした。

高校時代に酷使した身体と心を引き摺っていたのでなるべく疲れないよう就労時間は短いもので契約させてもらいました。午前三時間、午後三時間くらいでしょうか。

時給も高く、一緒に働いている方々にもとても優しくしてもらって…今まで働いてきた中でダントツに一番だと思える待遇と、優しさと、給料をもらって働いていて半年。

これも今から思えば、の話ですが私は友達が欲しかったのです。だったら、会社ではなく外の世界、例えばクラブとかに行って気の合う友達を見つけるとか。そういった方法で会社で友達を作るのではなく、外で友達を作ればよかったものの、本当に短絡的な理由で最高の職場を手放してしまいました。

職場で出来た友達、バイト先で出来た友達など、その時は仲良く遊んだりするのかもしれない。けれど、辞めてしまえばそれぞれの道が広がっていて繋がり何てすぐに途絶える。それが、当時の私には分かりませんでした。

本当に、分からなかったのです。

そして、その最高の職場に勤めながら私はゴルフの練習場でのバイトを始めました。

私が社会に出て崩壊の一途を辿ったのが、このバイトになると今では思います。

練習場のバイトでは同じ年の同じ頃に入った同僚がたくさんいて、仲良くしてもらって仕事もすぐに覚えられて順調だと思ってました。

けれど、…心はもう分かっていたのだと思います。私が無理をしていることを。その頃から徐々に調子は落ち始めていました。

父の勧めてくれた会社時代は、薬は殆ど飲んでいなかったことを記憶しています。肉体労働で、所謂3Kってやつですよね。くさい、きたない、きつい。シンナーを大量に扱う、危険な仕事。

けれど、私はそんなに苦にはならず寧ろ、身体を適度に動かすことで身体の調子も心の調子もどちらもよく、きついなんて思いもしませんでした。心の調子も安定していて、でもやっぱり時折、調子が悪くなって帰ったりしたことはありました。けれど、中学や高校時代と比べると格段に病気はよくなっているように思えました。

だったら続ければよかったのですが、私の性質はどうやら、自分から破滅の方向へ向かう性質だったようです。

時々、いるんです。友達の中にも、その方向へ行ってしまったら確実に幸せなんか掴めない。ただきつくなるだけだって。でも分かっていたとしても、行ってしまうのが破滅型の人間の性ってものなのでしょうね。

私は、高校を卒業してから選択の間違いばかりを犯していた気がします。人生にとって、選択は自分の責任でありすべて自分で決めなければならない。そしてそれに責任というものも背負わなくてはならない。

そういった点では、私は選択間違いばかりしてその尻拭いも出来ずただただ、ゆっくりと破滅していったように思います。


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