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統合失調症とわたし ⑪

寒い季節の中、会社を辞めた私は次なる病院探しを始めました。

こう、…親身に話を聞いてくれて、きちんとした『効く薬』を処方してくれる病院を探そうと。

今の時代でしたらネットといった手段があるのですが私が20歳の頃はネットなんてまるで普及なんてしているわけもなく、頼りの綱は電話帳でした。その電話帳に載っている精神科を懸命に探し、ある病院を見つけました。

私はその頃、なぜこんなに必死になっているのか分からなかったのですが、後々考えてみるに自分でも分かっていたんだと思うのです。

『放っておいてはいけない病気』

だと。あともう一つはとにかく楽になりたかった。毎日泣くのも、心の重しに潰されそうになっている心を、とにかく楽にしてやりたかった。

その一心で、あるJ病院という病院を見つけ、私は何気に男性が苦手でして。しかしそこの病院は女性医師が曜日によってはいることを知り…その日を狙って初診でJ病院へ行きました。

雑多なビルの一室を借りているようなその小さな病院には、座る場所がないほどの患者で溢れ返り、散々待たされて診察室へ通されました。

女医さんは、とても丁寧で分かりやすく話も聞いてくださるとてもいい先生でした。薬も処方してもらい、その頃はその薬でなんとか現状維持は出来ていましたが、後々の私の主治医となる先生から言わせると薬の量がものすごく足りていなかったそうです。

寧ろ足りなさ過ぎて主治医となる女医のY先生に言わせると「あまりに少なすぎて驚いた」くらいには、少なかったそうです。

そんなことを知る由もなく、私はその薬を『良くなる薬』と信じ切って毎日飲んでは病院に通い…。そこは処方箋を出して、近くの薬局で薬をもらうシステムになっており、寒い冬でしたので薬局の中にはストーブが置いてあり、それに当りながら薬が出来るのを待っていたものです。

そんなある日。これは今でも後悔…というか、気になっていることなのですが診察が終わり、そして薬局に詰めている間にある男性がやって来ました。そして話しかけられ「眠れてますか…?私はどうにも眠れなくて…」なんて話を振られたのですが、その頃の私は完全に人間不信に陥っており、運送会社での出来事、いい医師が見つからないといった不協和音に嫌気が差しており、人間と話したくないという理由で男性のことを無碍にして薬をもらい薬局を出ました。

今から思えば…もうちょっと話に付き合えばよかった。そしたらもっと、分かることも多かったし、男性も話すことで私も男性も少しは楽になったのかもしれないのに。と、今でも後悔を重ねていることの一つです。

話が逸れましたね。

そして、結局…どれくらいでしょうか、J病院へは結構長く通っていたように思います。

今までが今までだったので、少しでも効く薬があればそれに縋りたく思いその一心で結構遠かったJ病院に通い続けました。

それでも、心の重石は相変わらず私を抑えつけ、苦しい日々が続きました。

けれど、そんな私にある転機が訪れます。

というのも、近所に車で10分くらいのところに診療所が出来たのです。その診療所には『心療内科』を扱っています的な看板まで立ててあって、最初は…どうだったかな、母がなにかの用事でその診療所を受診して、その時に心療内科も取り扱っていると聞き、長いこと車で走って寒い道を延々と歩かなければならないJ病院よりもこちらの診療所なら近いし、という理由でJ病院を離れました。

しかし……ここからが、今現在に至り、そして客観的に見れるから言えることなのですが、無駄足だったのかそれともちゃんと身になったのか、分からないような病院の渡り歩きを繰り替え始めます。

このH診療所。実はとても曲者だったのです。

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