地球ゲーム、乙。

もろびとこぞりて。noteの更新が終わるかもって知らせの舌の根が乾いたころに復活。アイムバック。イッツミーアゲーン。
わたしは今はウェブサイトで、仕事にも準ずる記事をぉ、更新しているんですけどぉ、noteはnoteで遊び場に使えるんじゃないかってひらめいたので継続。使用法変えてこっちはハイパーモードで逸脱。書き散らしたい欲満たし用に制圧。

あぶれてる人格って自分の中にないすか?
ほんとはこんなモードの自分もいるんだけどなってわかってても使用法なくってぇ、てか、出そうにも出せなくって中途半端な表現になってて幾年(いくとせ)。
書いても書いても正統派モードに引っ張られることハンパなく。でもまあそれもいいけどって、引っ込ませてまた幾年。

新しい風が欲しかったんです。ここんところ、わが人生に。
でも新しい風っていっても、外部に参加したいなんかってないしー。
行きたいところとかもないしー。あれば行ってるしー。
じゃあ自分のやりたいことって? と考えたら、書き散らしたかったんです。蝶のように舞い、蜂のように刺す、わたしは好きに書き散らす!

言葉遊びが好きで、米国のラップやR&B(歌もの)もずっと好きで、元々は文筆業を専業にしようとしてたわたしは、自分の楽しみだけのために書く場が本当はほしかった。文体破綻させて自由にGO。
だけどあんまりふざけすぎるとアレだから……って思いが邪魔して、いつもいつも投げかけたボールは急カーブ。新しい表現を試したつもりが、推敲してる間にいつもの自分の文体に戻ってることが多々。

自分の中に遊び場を作れば退屈知らず、どこまでだって行けるのに、それだけのことができないなんて……って思い至り。
このnoteがちょうど「空き地」状態になってることがギフト。

あえての同じアカウントで、ハイパーモードの解禁。
これまでの通常モードの過去記事だってそのまま置いてあるので一石二鳥。でしょ?

昨年あたりからのわたしの発見を突然ここでシェアすると、一人称をぼくにする女性が近年わりと増えてるよね?
わたしはそういう好みが自分の中にまったくないと思ってたんだけど、好みというより実用でその世界に突入したっぽい。わたしが「女モード」に入りすぎて思考が偏ってるときに、心の中の一人称を「ぼく」にするだけで、あらふしぎ。違うモードになれることに気づいたっす。
流れる思考を「ぼくは~」にしばらく変えるだけで効果ある。逆に、ふだんが男性っていう思考下にあるなら、一人称「アタシ」にしてみるとかね。一時的に、自分の心の中だけでもいいんで。きっと同様の効果、得られる。

書く世界ってこれに近くて、わたしとか、ぼくとか、我とか、色んな一人称の自分が自由に動けるわけで。
けど、書く中でもこれまでみたいにあえてのフィクション形式でがむばってそれをやらずとも、わたしはわたしの地の文章で、自由にそれをやっていいんだって。
その方が楽しくて簡単だよなって今は思ってる。

なにはともあれ、固定された自分に常時なり続けるって、不自然極まりなくね?って。わけで、みんな、地球ゲーム、乙。


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