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勝手に10選〜尾崎豊さん編(前編)〜

(前記)
恐らく、尾崎豊さんの曲を初めて聴いたのは、姉の影響であったか。筆者は小学生、もしくは中学生であったか。
既にチェッカーズに夢中だった単純な少年は”15で不良と”呼ばれなければいけない、と本気で考えていた。

そして、そんな少年は尾崎豊さんの音楽と出会い、その未来に1つ任務が増えた。
15歳になったら”盗んだバイクで”走り出さなきゃいけなくなったのだ。

その端正なルックス、笑顔がとても素敵で、音楽性に関してはシンガーソングライターとして突出した天才。

ボーカルは美しく甘いバラードも、激しいシャウトも全て自分のものにしてしまう。
ライブのMC、やインタビューでは、実に和かに、はにかみながら語る。
歌、ライブに入り込むと、全身全ての細胞を駆使して歌い、踊り、ギターを身体の一部の様に奏で、ピアノを奏で、シャウトする。

少し長めの前髪から汗が滴る。

詩を綴れば、メッセージ性だけではなく、語彙力、文章力、表現力、詩的センス、ワードのチョイスなど実にクレバーで、無限だ。

作曲すれば、どんな曲でも人の心の隅にまで響きわたる。コードとメロディラインを繋ぐ魔術師の様だ。

それが尾崎豊さんだ。

今回はそんな尾崎豊さんを、筆者が好きなフレーズと共に、前編、後編に分けて、勝手に10選する。

・ダンスホール
1985年に発表されたアルバム"回帰線"に収録され、後に11枚目のシングルとして発表された"I LOVE YOU"のカップリングにもなっている。

この曲は尾崎豊さんが、アマチュア時代に作った曲で、1982年に行われたC.B.S.ソニーのオーディションでアコースティックギターにて披露され、合格を勝ち取った。

しかし、アマチュアの17歳でこの名曲を完成させる事が既に奇跡の始まりだろう。

ダンスホールでの一夜を2人称で歌い"お前"の由来には諸説あるが、ただこの美しいメロディと、綴られる物語に身を委ねれば良いのだ。

生前、オーディエンスの前で歌った最後の曲となり、不思議な運命を感じる曲である。

"金が全てじゃないなんて、綺麗には言えないわ"

・I LOVE YOU
1983年に発表されたファーストアルバム"17歳の地図"に収録され、1991年にシングルカットされた曲だ。

"17歳の地図"の制作にあたり、曲数が足りない、との理由で尾崎さんが2日程で完成された、という逸話が残る。

この先に、この"I LOVE YOU"が日本の音楽史において、題名としてのフレーズ"I LOVE YOU"を用いた曲の最高峰に君臨し続け、国境を超えて沢山の人、アーティストにより歌い継がれるとは、17歳の少年は予想出来なかったであろう。

曲も、"悲しい歌"がキーとなる、世間的には許されがたい、歓迎され難い10代の恋愛をテーマにした歌詞であり、その構成も曲のアレンジも全てがパーフェクトなのだ。

尾崎豊さんの最高傑作で、日本のラブソングにおいて燦々と輝く大名曲だ。

"それからまた2人は目を閉じるよ
悲しい歌に 愛がしらけて しまわぬ様に"

・OH MY LITTLE GIRL
1983年に発表されたファーストアルバム"17歳の地図"に収録され、1994年にシングルカットされた曲だ。

"I LOVE YOU"と同様にラブソングの最高峰として、現在でも度々カップリングに使用され、多くのアーティストにカバーされ、歌い継がれている、ラブソングの大名曲だ。

しかし、"I LOVE YOU"と"OH MY LITTLE GIRL"の、共に日本音楽史におけるラブソングとして今後も歌い継がれるであろう大傑作が、同時期に17歳の高校生により作詞作曲されて、同じデビューアルバムに収録されている事が信じがたい奇跡なのである。

時に語りかける様に、緩急の効いた尾崎豊さんのボーカル、そしてそのボーカルを鮮やかに彩る演奏。実に恋人への想いをストレートに綴った歌詞。

こちらもパーフェクトなラブソングである。

"二人黄昏に 肩寄せ歩きながら いつまでも いつまでも 離れられないでいるよ"

・15の夜
1983年にシングルとして、アルバム"十七歳の地図"の収録曲として発表された。

この曲が時代を超えて偉大である理由は、筆者の印象では、日本の音楽史で最も有名な部類に入るサビのフレーズではなかろうか。
"盗んだバイクで走り出す"、だ。

軽やかなAメロ、切なげに語りかけるかの様なBメロを経て、怒涛ののサビの最初のフレーズだ。
これほど、若者を中心とした人々に一撃で刺さるフレーズは実に唯一無二なのだ。

ともに特筆すべきは"自由になれた気がした 15の夜"というフレーズだ。
この曲は14歳の時の家出の経験がモチーフになっており、語呂が悪く15歳となったのだが、いずれにしても自身の14歳の夜に自由になれた気がした、だけなのだ。
17歳の尾崎豊さんが、自身における家出の経験を振り返って、あの時はそんな気がしてただけなんだ、という結末なのだ。

"誰にも縛られたくないと 
逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜"


・僕が僕であるために
1983年に発表されたファーストアルバム"十七歳の地図"に収録された曲だ。

しかし、この曲でアルバム"十七歳の地図"から、既に5曲目である。
これら後世に歌い継がれる曲達が、17歳の少年が全て作詞作曲して、このファーストアルバムが完成する。
日本の音楽史を語る上には、絶対欠かせない作品なのだ。

そんなアルバム"十七歳の地図"のラストを飾るのがこの曲だ。

このアルバムにおける楽曲の中で、この曲は歌詞がやや散文的に、少し抽象的となり、外へ向かうのではなく、自身の中にある葛藤に対するメタファーとしてフレーズが散在している印象を受ける。
そんな歌詞の世界観が、実にストレートで解りやすいタイトル"僕が僕であるために"に見事に帰結するのだ。決意表明みたいに心に響く。

この大名アルバムのラストを見事に飾り、次作"回帰線"への橋渡しとなっているのだ。

"誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ"

(後記)
後編に続きます。

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