見出し画像

敏感すぎて「ただの良い人」になっていませんか

はい!私です。。。私もそうでした。。。

敏感すぎて、人のほんの少しの表情、間、空気で相手の気持ちが手に取るように分かってしまうから、、、

相手が喜ぶ言葉、態度、それらが分かってしまうから、相手が喜ぶような事を言う、する。

というか、反射的にしてしまうんだよね。

私も小さい頃からそうだった。

よく周りの大人たちは、どうしたらこんな良い子が育てられるの?と親に聞いていた。小学校でも中学校でも担任になった先生は皆聞く。

私はただ、大人が今して欲しいこと、を無意識に感じ取ってそれらを行っていただけだ。先生からすると、規律正しく、まじめで、優しくて、何でもそつなくこなす、、そんな生徒だったみたい。

なんせ相手が不快そうな顔、言葉を出そうもんならそれが自分にとって、とてもイヤで多大なストレス。だから相手が先生にしろ、親にしろ、それは同じ。言われたこと、守るべき事はもちろん、さらにしたほうが良さそうな事プラス1ぐらい簡単にできた。人間性が良いというか、そうせざるを得ない気質なんですよね。

私たちって、自分はもとより、相手のに対して共感、喜び、安心が大好き。

普通の人の何百倍も求めている気がする。笑

自分や目の前の人の言葉や顔、から感じられるように、聴覚・視覚からはもちろん、においだったり、天気の湿度や気圧にも敏感でとても影響されやすい。

だからこそ、人に対しては、ほぼ無意識に、反射的に、相手の気持ちを汲んで読み取れる一番良いこと・喜ぶことをしてしまう。

でも、大人になってもそれだけをずっとし続け、空気ばっかり読んでいると、私の口から出た言葉や行動は、

私の本当の気持ちなのか、相手を喜ばせるためのものなのかわからなくなって、ふと、悩む時期が来たのだ。

さらに、

相手を喜ばそうとしているのに、私が共感した事に対して意見をいわれると、ムっとしたり、腹立たしく感じるようになる。それが相手にとって、反論しようとする気持ちはなく、会話として話しているだけでも、私がちょっとした歪みを相手に感じたからだ。

これってめっちゃ嫌じゃないですか?

人としても嫌なヤツだし、何より自分も心地よくない。。。

ここまで来て、やっとわかった、

【察すること】と【空気を読むこと】の違い。

察することに関して、天才的な私たちが、陥ってしまうその先は、、、

「空気を読みすぎる、そこに居ても居なくてもいい人。」

あぁぁぁ。なんて悲しい結末。

いや、結末って言っちゃダメね。一度は陥る落とし穴。かな。

この落とし穴にはまると、あぁツライ。

無意識といえど、人が喜ぶ事をしてきた自覚がある私たちが、こんな軽んじられる存在になるなんて、なんて悲しいんでしょう。

ふとしたときに思う、、私って本当の友達っているのかな。

心から通じる人っているのかな。。。

これって、察するを飛び越えて、空気を読み続けてきた代償なのです。

なにがいけなかったのか?

まず、察すること、これは素晴らしい能力。

相手の表情や言葉、空気から、相手の気持ちを察する。そして自分が持つ、言葉や行動で最大の癒やしを与えようとする気質の私たち。

他には仕事で、先輩や仕事を見て本質を察する、理解する能力。

だから私たちは仕事面においても覚えが早く要領が良い人は多いんじゃないかな。

この察する能力を使って、自分の考え、想い、行動をするのは素敵なこと。

でも、察した上に、自分がする行動や発言に対して、反対感情が生まれるのを怖がって空気を読み、みんなと同じような、なんとなく多数決で負けなさそうな、あたりさわりのない意見、行動をすることとは全く別のこと。

だってそこには私の個性は死んでいるもの。

少しくらい、自分の思いとは違っても、空気を読み、こっちの方が受け入れられるんじゃないかなってするのは、究極、もう私である必要は無い。

察することが得意な私たちは、知らず知らず、自分が発することまで空気を読んでしまっている。

そうなれば、私と心が通じる人がいないのも当然のこと。

だって、私の本当の感情を話してないんだもの。

人やその場の空気に同調しすぎていると、そこに居ても居なくてもいいひとになってしまう。

誰かと特別な関係、誰かの特別になっていくには

「その人としかわかり合えないこと」

「その人からしか聞けない言葉」、がなくっちゃ。

ずば抜けた察する能力を使った上で、発する言葉や行動。これは自分の思い浮かんだことを、そのまま、しよう。

それが相手にとってどう受け取るかは相手次第。

100点満点の事をしたって、相手のそれまでの出来事や、健康状態、

色んなことが絡んで、その時々で受け取り方は変わってくるんだもの。

私たちは魔法使いじゃ無い。相手にとって常に100点なんて出来ないし、そんなただの良い人を目指しちゃいけない。

今、その状況で、自分が察したこと、伝えようと思ったこと、それが出来ただけで素晴らしいこと。

だって、逆もそうでしょ?

相手が自分を察して気遣って、伝えてくれた言葉。その思いが分かれば少しぐらい的外れのことを言われたって何だってうれしい。

当たり障りの無い事を言われるより、よっぽど心に響く。

実際、「良い人」といわれる多くは、「どっちでも良い人」であるよね。

察することが得意な私たちが言うことは、時に核心を突いたことを言ってしまう。よかれと思って言ったことでも、人って核心をつかれると隠そうと嫌悪する人もいる。でもそれでいーんじゃないかな。

それで離れられようが、届く人に届けば。

嫌われた、と思うとかなり傷つく私たちだけど、笑

嫌われたのでは無く、その人の人生のタイミングと私の人生のタイミングが、今、仲良くなれるタイミングじゃ無かったってことだなって思う。

実際それは多くあるでしょ?学生時代仲良くなる人と、大人になってから仲良くなるタイプは違うことが多い。だからこのタイプの人とは仲良くなれないんだって決めつけるより、その時々のタイミングが合うか合わないかだけだから。

だから、察して、空気を読んで、良い人にならないで。

察すること、敏感なことはとってもとっても素敵なこと。

その上であなたの気持ちを大切に生きてね。

あなたが少しでも楽しく朗らかに生きられますように。。

仲間に想いを込めて。

サヤカ

画像1












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?