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刷り込みからの脱出

通りすがりの人を闇雲に撮ったところで何かが見えてくるわけではない。
見えたと思っても、それは自身の表層的な先入観や思い込みである場合がほとんどだ。
ストリートフォトと称される写真の大半は、ストリートフォトというイメージを先に撮影者が持った上で撮られることが多い。
過去にどこかで見た写真の印象に引きずられていたり、意図的に人気の写真家の猿真似をしていたりすることもある。
それらの写真にはリアルな素の街が表れているわけではなく、単に自らの観念が写っているにすぎない。
こういう写真を撮っておけばストリートフォト的に見えるだろうという意識的、無意識的な刷り込みがあるばかりである。

そうした何十年にもわたって刷り込まれてきた観念から脱するのは、容易なことではないが、ひとつ可能性があるとしたら、より深く主観からアプローチすることではないかと思っている。
一見真逆のようにも思えるのだが、刷り込みというのは、実は他者視点の評価軸のことなのである。
SNSの「いいね」などは、その最たるもので、知らず知らずのうちに他者視点の評価軸に取り込まれ流されていくのだ。
「いいね」の多い写真は「良い写真」であるという意識は集団幻想にすぎない。
刷り込みは自身の無意識層の深くまで食い込んでいるわけではなくて、案外表層的なものである。
ならば、その表層を越えて自発的な主観の極みに達することで、逆にリアルな世界が垣間見えてくるのではないかと、近頃そんな風に思っている。

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