見出し画像

〜なら、どうして私達を産んだの?〜

お母さんは毎日夜、スナックで働く
その夜を見計らって
おじいちゃんの暴力は毎日毎日続いた
友達がうちに遊びに来てても
友達の前で殴られるのも当たり前だった。

だから私は本当に家に居るのが辛かった。

お母さんに
「じぃちゃんが殴ってくる!」
って訴えても、見て見ぬふりをするか
「じぃちゃん、いい加減にしてよ」
と、軽く言うだけで
私達のことはそんなに気にしてくれなかった
それも悲しかった。

それでも私はお母さんが好きで
嫌われたくなくて弟が周りにいない時
お母さんにこしょこしょ話で
「姉弟の中で誰が一番好き(^^)?」って聞いて
「あんたやで」って優しく微笑んでくれたお母さんが大好きだったのに、弟も私と同じ事をしていて
お母さんが「あんたやで」と
弟に言ってるのを見て、お母さんはウソツキなんだって悲しくなった。
でも、やっぱり愛されたくて気づいて欲しくて

左腕を爪で血が沢山出るまで掻きむしって
寂しいよって伝えたかった

だけど、その傷を見たお母さんは
見て見ぬふりをして何も言ってくれなかった。

「なんで?どうして?心配してくれないの?お母さん・・・。」
私はずっとずっとお母さんに執着していたのかもしれない。

そんな毎日の中でお母さんがスナックから
帰って来た時、とっても泣いていた。
それを支えていたのはお母さんの彼氏だった。

お母さんと一緒に寝ていた私は
泣いてるお母さんになんて言ったらいいかわからなくて寝たフリをしていた
その時、お母さんの口から衝撃的な言葉が出てきた。

「私だって!!この子ら産みたくて産んだんちゃうねん!!」

それはきっと本心だろう。
泣き叫びながらそう言っていたお母さん。
私の大好きなお母さん。
この世に一人しかいないお母さん。

だけどこれを境に私はお母さんの事はもう
何も信じられなくなった

おばあちゃんにも
おじいちゃんにも
お母さんにも
お父さんにも

愛されてなかった事にその時気づいた。
寝たフリをしていた私は
その言葉が胸に突き刺さって痛くて
寝たフリをしながらずっと涙を流していた。

お母さんに愛されたかった。
ずっとずっとずっと不安だった
でもそれが確信に変わってしまった。

私は、愛されてないんだ、と。

何かを頑張っても褒めてくれた事は
幼い頃にすこしだけ。
褒めて欲しくて色々なことをしたけど
結局は「お母さん仕事で疲れてるから後にして」だった。

そこからだと思う。
わたしの承認欲求が強くなったのは。

私は家族愛に飢えていた。
むしろ家族愛ってなんなのか分からなかったし、今でも分からない。
うちではこれが当たり前の暮らしだったから・・・


________続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?