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ブリコラージュ的生活に祝福を
先日初めて知った言葉。
ブリコラージュ。
知った言葉をすぐ使いたくなってしまうサルなので、浅い知識しかないけどブリコラージュについて書く。
ブリコラージュ:フランス語の「bricoler」(素人仕事をする、日曜大工をする)から。ありあわせの手段・道具でやりくりすること。通常「器用仕事」と訳される。ある目的のためにあつらえられた既存の材料や器具を、別の目的に役立てる手法。Artwordsより
ブリコラージュ、「冷蔵庫にある中身でそれなりに食べられる料理をつくる」的なこと、ととらえている。
思えば私たちの生活はだいたいそんな感じだ。
私の場合で言えば、なんとか子どもを寝かしつけるまで必死に過ごし、その後やるべきことをやり、大体全ては終わらず、明日の仕事のためにも睡眠時間は確保したいが自分の息抜きもしたい。
さりとて寝坊してまた朝バタバタし、全行程ダッシュで保育園にも職場にも遅刻ギリギリ息も絶え絶えで到着するのも、お弁当の中身が走った影響でぐちゃぐちゃになるのも、パンプスが早めにパカパカになるのも嫌なのである。
でも毎朝そんな感じになり、とりあえずやらなきゃ致命的なことから片付け、辛うじて今日も終えた……と思いながら、もう本当にありあわせの毎日を送っている。
たとえ幼子がいなくとも、大抵の人は大なり小なり似たような日常を送っているのではないだろうか。
例えば、何かを生み出し名を馳せるはずだった指でキーボードを叩き、世界を魅了する予定だった声で電話番。世界を股にかけるはずだった体は肘掛のない事務椅子の上、とか。
思い描いていた未来とは到底異なるこの日常。
完璧に、全てが満たされ何不自由なく、計画どおり、一切心乱れることなく、なんて過ごすことはできない。
それでもなんとか生きている。
やりくりしまくって生きている。
それはそれでいいではないか。
ブリコラージュという言葉を聞いた時、そんな日常を肯定する気になった。
思えば、物語の主人公だって、大抵何かが欠けていて、全ての条件が揃ってなどいない状況で生きている。
それでも彼らは力強く、夢を叶えたり叶えなかったりしたながら私たちの心を打つではないか。
大事なのは、完璧であることや、完璧に環境を整えることではないのかもしれない。
だから、理想と違う現実に、毎日落胆することもないのでは。
そもそも変化が速くボーダーレス化の進む現代において、欲しい環境が揃うのを待っていたら時すでに遅し。
何事においても、予定通り完璧に物事が進められることなどない。
ならば、ないないづくしの日常で、たとえ名を上げられなかったとしても、とにかく生き延びること。
そういう、ありあわせのものでなんとか生き延びる嗅覚や野生の勘みたいなものを磨く方が、今後の人生で役立ちそうだ。
これは、諦めろという話ではない。
なるべく後悔なく生きた方が、精神衛生上よい。
後悔は、何かを達成できなかったことより、全力投球しなかったことにより生まれる、と思う。
だからやりたいことはやる、挑戦してみる。後悔したら、次はしないようにする。
色々足りない人生の中でも、それを心がけることはできる。
ああ、良きかな、ブリコラージュ的生活。
冷蔵庫の中身でそれなりに満足のいくものをつくれるってすごいじゃない?
(実は私にはできない)
この日々も、見ようによっては刺激的で、創意工夫の可能性にあふれ、クリエイティブでいくらでも面白くできるのかも。
むしろ、実はこのありあわせの日常を私たちはとてもクリエイティブに過ごしているのかもしれない。
ブリコラージュ的生活を楽しみ、工夫すること。
これが今後の大事な生存戦略になるかもしれない。
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