生きる[インスタントフィクションその26]

近年増えた獣害を取り上げたニュース、あまりに被害が大きいために罠や猟銃による殺処分が検討されているという報道にコメンテーターが好き勝手に意見している。
「でもさぁ、最初に人間がテリトリーを奪ってきたのにそれを取られそうになったら殺しますってどうなの?」
「そうはいっても子供が被害に遭ったら手遅れになっちゃうよ。なんとかしないと」
「畑の被害もかなりバカにならないみたいだしね」
「でもさぁ、やっぱり可哀想だよね。生きるために山から降りてきてるのにそこで殺されるなんてさぁ。やっぱり動物も生きてるわけでね、そんな簡単に殺すなんてどうかと思うんだよ」
なるほどこの人は動物博愛主義なのか。きけば獣害を受けた土地も長い年月を共存、共生に費やしてきたらしい。でもそのことごとくが失敗に終わってもういよいよ選択肢がないところまで来てるってことなんだな。動物の行動原理なんてそれこそまだわからないことだらけで、だからこそ効果的な対策なんてわかんないんだよ。
「犬猫の殺処分は避けたいと思うのと害獣の殺処分を考える時ってやっぱりなんか違うよね」
「いやいや、俺はどっちも無くしたいと思ってるよ」
「なくすにしたって試しても失敗ばかりでどうしようもないよね」
考えてるうちにも会話は続いていく。つまるところ、彼らは見えるところしか見ていないんだなと思ってしまう。愛玩動物や野生の動物は命があるんだから助けたい、でも自分が食べる家畜には何を考えるでもない。そして俺はひとりごちる。
「食べるために殺す。テリトリーを犯されないために殺す。殺されないために殺す。当たり前のことじゃないか」
食べるための命を奪うことに躊躇いを持たないのに自分の好みで命を生かすか決めるなんて、それは途方もなく傲慢なことではなかろうか。
「僕も全部助けたいって思ってるわけじゃないんだけどさ、不必要な命は奪いたくないよね」
「どうにかして命を奪わずに済む方法はないのかなぁ」

生きるということは殺すということ。不必要な命を助けるための方法がまだ見つかってないんだから、誰かが殺される前に殺すのは当たり前のことなんだ。それはどうしようもなく、研究が進んでいないことを悔やむしかない。だからこそ研究の足は止めてはいけないし、全力で命を助ける努力は惜しまれるものではない。でもさ、やっぱり間に合わない命はあってさ、だからそういったのは割り切って、これしかないんだって、ごめんなっていう罪悪感を背負いながら生きていくしか方法はないんだと思う。そのほうが、安易な共存を叫ぶよりよっぽど健全だと思うんだ。

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