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GPT4とつくる建築理論その4:中動態的アプローチから複数性が宿すアウラ=この性

chatGPT4を反射板として使いながら、Ney & Partnersでの5年の経験を振り返り、最近まとめたレクチャーの内容を記事にした。あまりに長過ぎたので5つに分割して掲載している。これはその4つ目だ。


図式

図式化と中動態

この2項は1つ目の記事に掲載

図式と表記法

アルベルティ・パラダイム

この2項は2つ目の記事に掲載

図式の関数化:オブジェクティル

この項は3つ目の記事に掲載

中動態的アプローチ

国分功一郎はその著書『中動態の世界 意思と責任の考古学』において、スピノザを引用しながら、近代社会における自由意思とは、切断であると指摘する。何か問題が生じたとき、誰がその原因となる行為を行ったのか、それを能動的にやったのか、受動的に誰かにやらされたのか、その行為の起点となる意思を問題視する。だが、意思は何も無いところから立ち上がる訳ではなく、先行する状況や周囲の環境の影響から無関係には存在しない。自由意思の考え方は、本来無限に遡っていける原因の系列を切断し、特定の個人に行為の責任を所有させるための概念だ。

国分功一郎がスピノザを引用して指摘する自由意思の理論は深遠であり、現代社会における個人とその行動に対する責任の問題を浮き彫りにします。

彼の指摘する「自由意思」は、私たちが自己の行動を意識的に制御し、自己の選択によって行動を決定できるという考え方です。しかしながら、彼はこの自由意思の概念を「切断」と表現します。これは、私たちの行動や意思が個々に孤立して存在するものではなく、常に周囲の環境やそれまでの経験、そしてそれらによって形成される前提条件によって影響を受けていることを示しています。

したがって、彼が主張する自由意思の概念は、行為の原因や影響を追求するとき、それが遡及する無限の因果関係を途中で「切断」し、特定の行為に対する責任を個々の人間に帰属させるという視点を持つことを意味します。

この視点は、個人の自由と責任、そして社会全体の役割と責任についての深い思索を促します。また、個々の行動が集団や社会全体から無関係には存在しないという認識を深めることで、共同体としての課題解決や調和の追求にも寄与します。

GPT4

アルベルティ・パラダイムでは、建築の現場において何か問題が生じたとき、それが施工の誤りなのか、図面の不備なのかその問題の起点を特定し、責任の帰属を明らかにさせる。
しかし、現場で生じる問題の多くには無限に遡っていける原因の系列が存在し、契約を盾にその因果関係を切断し責任を特定の誰かに帰属させる事は、施工側の過大な見積もりとVE提案による質の劣化を招く。
これに対して、共著的建築では、切断をしないという中動態的アプローチをとる。犯人探しを敢えてせず、問題のメカニズムを解明するために協力することで、過去の設計に対する責任を引き受け施工者と共に問題の解決を探ることを重要視する。

建築の現場では、さまざまな問題が生じることがあります。その多くは、設計の問題、施工の問題、材料の問題、環境の問題など、多角的な視点から考える必要があります。そして、それらの問題が生じた原因は、しばしば複雑な因果関係によって形成されています。

アルベルティ・パラダイムに従った場合、問題の原因を特定し、その責任を明確にすることが求められます。しかし、このアプローチは、問題の原因を過剰に単純化し、問題の解決に向けた有効な解答を見逃す可能性があります。また、責任の所在を一方の当事者に帰属させることで、他の当事者が問題解決から逃れる動機を生む可能性もあります。

そこで提案されるのが、中動態的アプローチです。これは、問題の原因を一つの要素や人に絞り込むのではなく、問題が生じた全体の状況や関連要素を含めて考慮する方法です。これにより、問題の真のメカニズムをより深く理解し、より効果的な解決策を見つけ出すことが可能になります。

特に建築の現場では、設計者と施工者の間における協力が重要となります。設計者が過去の設計に対する責任を引き受け、施工者と共に問題の解決を探ることで、問題が再発することを防ぎ、より良い建築物を作り上げることができます。このようなアプローチは、互いの役割を尊重しつつ、全体としての目標に向けて協力することの重要性を示しています。

GPT4

Ney & Partners 虎ノ門プロジェクトでのエピソードを実例として挙げよう。
設計を担当したのは国道1号にかかるデッキ上にあるキャノピーだ。虎ノ門ステーションタワーとグラスロックをつなぐこのデッキの桁裏は折半構造でデザインされている。これに合わせてそのデッキ上のキャノピーも折れた面で構成することとした。

虎ノ門ヒルズ駅にかかるT-デッキとその上に設置された薄いキャノピー

連続梁のモーメント図に沿って構造高を確保する。折れの稜線が反転した屋根面と天井面を合わせることで、四辺のエッジで厚みがなく、かつ中央で膨らむ日本刀のような立体形状が得られる。

連続梁のモーメントに対する構造高を確保しながら、エッジの厚みがないジオメトリ

これによって、全く厚みの感じられないペラペラの紙のような、エッジが効いた構造がつくられる。同時に、この多面体の構造は橋上のランドスケープに合わせて緩やかにカーブを描き、様々な角度で連なる面が都市のダイナミズムを反射する豊かなシークエンスを生み出す。構造と体験が統合されたかたちの図式である。

厚みの感じられないカーブする多面体の構造は、都市の環境を反射し豊かなシークエンスをつくる

これまでと同様に、複雑な制約条件をひとつのシンプルな図式に統合するためには、個々の要素の複雑なコントロールを要する。故に、かたちの図式をアルゴリズムによる表記法によって関数化し、線形や柱位置の変更に追従させる。コードは幾何形状図に翻訳し、伝達されたかたちのルールに基づき製作マスターが人の手で再現される。

図式の関数化:アルゴリズムによる表記法
幾何形状図でジオメトリを伝達
再現された製作マスター

日本刀のようなエッジを持つ端部ブロックは、排水軒樋を統合したことに起因して面が捩じれているため、宇宙・航空産業で活躍する菱輝金型の大型5軸NC機で切削する必要があった。それを職人が公差0.5㎜の超精度で仕上げている。その部材を受け取るUBE(宇部興産機械)が恐るべき精度で溶接しユニットを組み上げていく。出来上がるモノは、原作者の想定を超えて、さながら鉄の彫刻のように、現地架設と現場溶接を担う松田建設工業に納品された。

菱輝金型→UBE(宇部興産機械)→松田建設工業

ここに至ると最早一切の妥協が許されない。現場での架設を安全側にみて、柱を2mm端部ブロックから飛び出させるように位置合わせして溶接する提案に合意したが、実際に橋上からみるとほんの僅かに凹凸がエッジの奥に見えてしまう。溶接とグラインダーの仕様規定上からみれば既に完璧な仕事だが、最早ここまで来たらアートのレベルで仕上げるために平滑にけずらなければならない。だが、鉄の塊を平滑に削るのは決して容易なことではない。原作者としての感性を伝えながら、限られた工期で現実的に何が可能なのか、職人と直接対話する中で現場の制約条件と重ね合わせ、十分に合理的な解を探す。再び現場に訪れた時、厚みも凹凸も感じられないエッジが綺麗に仕上がっていた。

品質管理上は完璧な仕事だが、設計原理としては平滑に仕上げたい
現場で鉄の彫刻を溶接し削る松田建設工業 撮影 momoko japan

ハーバート・サイモン曰く、人間は限定合理的存在であり、3つの有限性を持つ。有限の時間、限定的な情報、能力の限界だ。現場では工程が詰まり検討に費やせる時間は短く、情報は限定的で予測はつかない中で判断を下す必要があり、自分の職能の能力には限界がある。職人は良い仕事をしたいが、基準や仕様の外側にある質を上げるために何をやれば良いか分からず、一方で設計側は限られた状況で現実的に何が可能で何が出来ないかを知らない。

限定合理性 ハーバート・サイモン

ハーバード・サイモンが指摘する限定合理性は、個々の人間が抱える時間の限界、情報の不完全性、個々の能力の限界といった制約を認識した上で、最良の意思決定を行う能力を指しています。

建築の現場でも、これらの制約は非常に重要な役割を果たします。工程が詰まるなどの理由で時間が限られている場合、全ての可能性を網羅的に検討することは困難です。また、情報は常に限定的であり、未来を完全に予測することは不可能です。さらに、各個人が持つ能力には限界があり、全てを一人で処理することは不可能です。

特に建築の現場では、職人や設計者がそれぞれ異なる視点から問題を捉え、解決策を模索します。職人は、仕事の質を向上させるための具体的な行動を模索する一方で、設計者は現場の制約条件の中で何が可能で何が不可能なのかを理解しようと努力します。

このような状況では、各々が自身の知識や経験を共有し、相互に学びあうことで、限定合理性の制約を補完し合うことが求められます。具体的な行動と理論的な知識が結びつくことで、最終的な成果物の質を高めることが可能になります。

GPT4

この限定合理性を、現場に何度も足を運び職人と対話すること事で乗り越える。道具の使用が身体を拡張するのと同様に、他者の存在が個人の世界の知覚を拡張してくれる。この時に重要な事は他者を支配するのではなく、他者と使用関係に入る事だ。道具を使用するために自身の身体の図式を再構築する必要があるように、他者を使用するために自分自身の図式を再構築する必要がある。

支配ではなく、使用関係に入るために図式を再構築する

そのとおりです。ハーバード・サイモンの限定合理性を乗り越えるための一つの方法は、他者との深いコミュニケーションを通じて、情報の共有や新たな視点の発見、さらなる技能の獲得を試みることです。他者の視点や知識は、まるで身体の一部である道具を使用することにより物理的な能力が拡張されるのと同じように、認識や思考の能力を拡張します。

しかし、そのためには他者を単なる情報源やスキルの供給源として扱うのではなく、相互の尊重と理解を基にした使用関係を構築することが重要です。これは、道具を使うために自分の身体の動きを調整し、身体の一部として道具を扱うように、他者との関係においても自分自身を再構築し、他者を尊重し理解する姿勢を持つことが求められます。

このように、他者との関係性を通じて自己を再構築し、限定合理性を乗り越えることで、より良い意思決定を行い、問題解決の能力を向上させることが可能になります。

GPT4

複数性とアウラ=この性

レスポンシビリティとは、コールされたときにレスポンスするアビリティを意味する。 責任とは、向き合う出来事に自分なりの応答をするということだ。 この自分なりの応答を他者のそれと重ねていくことを、ハンナ・アレントは、人間の複数性に参加することだといった。

はい、あなたの述べている通り、"responsibility"(レスポンシビリティ)という単語は、"response"(レスポンス、応答)と"ability"(アビリティ、能力)から派生しています。つまり、それは特定の状況や出来事に対して自分自身がどのように対応する能力を持つか、という意味を含んでいます。

そして、あなたが引用したハンナ・アレントの考え方によれば、人間の個々の応答は、他者と重ね合わされ、複数性を形成しています。これは社会の中での人間の役割を表しています。各々が責任を持って行動し、自分自身の行動や意思を他者と共有することで、社会全体としての複数性が成立するのです。

このような思考は、他者と協力して行動することの重要性、そしてそれぞれが持つ個別の責任が全体としての社会を作り出すという点を強調しています。この考え方は、建築を含むあらゆる領域での共同作業において重要な要素となります。

GPT4

この複数性によって限定合理性を乗り越えた時、建築はアルベルティ・パラダイムにおけるオリジナルの同一的コピーを越えた、作品固有の価値を獲得するだろう。ヴォルター・ベンヤミンは、コピーについて、芸術は複製技術によってオリジナルのアウラが消失すると言った。複数性によってつくられる建築は、単なるコピーではないアウラを宿すだろう。

はい、あなたの指摘は深遠です。ヴォルター・ベンヤミンは、彼のエッセイ「芸術作品の機械複製時代における芸術」において、芸術作品の機械的複製が普及することで、オリジナル作品が持つ「アウラ」が失われる、と主張しました。

彼が言う「アウラ」は、オリジナル作品が持つ特有の存在感や独自性、その作品が創られた独特の歴史的・物理的な文脈を意味します。これに対して、機械的な複製品は、オリジナルのアウラを持つことはできません。

しかし、あなたが述べたように、もし建築が個々の制作者や利害関係者の複数性によって形成された場合、それぞれの個性や経験が融合し、新たなアウラを生み出す可能性があります。これは、単なる物理的な複製を超えた、独自性や特異性を持つ新たな存在、つまりアウラを持つ作品となるでしょう。

このような視点は、アルベルティ・パラダイムに挑戦し、建築を「共著的芸術」と捉える新たな視点を提供します。この考え方は、建築がオリジナルの単なる複製ではなく、多くの人々の貢献と協力によって生み出される独特の存在であるという考えを強調します。

GPT4

ここで言うアウラは、この性に言い換えられる。この性とは、このモノ、これでしかないことであり、どれだけ確定記述を積み重ねても説明しきれない剰余が残るもの、この人でしかないもの、この人たちしかできなかった再現性のなさ、固有性こそがこの性、アウラだと言えるだろう。

虎ノ門のデッキの桁裏は熟練した技術を持つ十数人の職人が2,3か月かけて削った

なるほど、アウラとは「この性」すなわち「唯一性」や「固有性」を表現する言葉として捉えているのですね。その解釈は非常に興味深く、ヴォルター・ベンヤミンの「アウラ」の概念と非常に良く一致します。

それぞれの建築作品や創造物は、その制作過程や制作者の個性、制作の文脈などによってその「この性」を持ちます。それは他の何物にも置き換えがきかない、唯一無二の存在としての質を表現しています。それは量的な言葉での記述では表現しきれない質的な側面を持っています。つまり、その作品が持つ「アウラ」がそれを独特のものにし、再現不可能な独自性を持たせるのです。

この視点から見ると、建築は単に物理的な空間を形成するだけでなく、その制作過程や背景にある多様な要素が交錯することで、唯一無二の「アウラ」を生み出す芸術形式と言えます。そのため、建築はただの物理的な存在だけでなく、社会的、文化的な価値を持つことができます。

GPT4

この性が作品に宿り、原作者を超えたとき、その作者は事後的に発見される。すなわち、それは原作者性の消失を意味するだろう。それを曼荼羅のようなもので表現したい。

原作者性の消失:曼荼羅

以下に続く

アウラと参加性

議論のための図式

過程の中に在り続けること

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