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韓国 コードネーム「890」計画

1950年~53年の朝鮮戦争の途中で、国連軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは解任されました。これによって、30発以上もの戦術核兵器が中国東北部に落とされることはなく、また、中朝国境地に「放射能のカラー」が巻かれることは、ありませんでした。
詳しくは前回の記事☟にて。

しかし、戦争の休戦協定が調印されても、朝鮮半島から核の影が消えることはありませんでした。
現在、私たちは「朝鮮半島と核」といえば、北朝鮮による核・ミサイル開発のニュースを頻繁に目にするわけですが、少し歴史を遡ると、実は韓国の方が先に核開発を秘密裏に進めようとしました。それは、韓国を取り巻く国際情勢を踏まえると必然的であったようにも思えます。
(冒頭の写真は朴正煕大統領電子図書館より)


核を追い求めた李承晩と朴正煕

ご存じの方が多いかとは思いますが、1953年に板門店(パンムンジョム)で締結された朝鮮戦争の休戦協定に、韓国は署名していません
当時の板門は、田畑の中に藁ぶき屋根の家屋が数軒あるだけでした。
韓国歴史博物館のHPに何枚か写真が公開されていました。

大韓民国歴史博物館HPより

韓国が署名しなかったのは、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)が拒んだからです。国家消滅の危機にまでさらされた彼は、反転攻勢に出た国連軍が北朝鮮を地図から消すまであと一歩のところまで進撃したことによほど手ごたえを感じたのでしょう。あくまで戦闘を続け、北朝鮮を滅ぼすべきだと主張し続けました。

結局、韓国抜きで休戦協定が結ばれてからも、李承晩は「北進統一」を叫び続け、「文明社会は共産主義者に対して核爆弾を導入して絶滅すべきだ」とまで訴えたといいます。

しかし、アメリカにそんな意図はさらさらないと分かると、彼は韓国独自の核保有を模索し始めます。そのための特別予算も組んだのですが、いかんせん当時は世界最貧国レベルであった韓国。核開発が具体的に進むことはありませんでした。

韓国の核開発が本格的に動き出すのは、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領のときです。


朴正煕大統領電子図書館より

彼が軍事クーデターで権力を握ったのは1961年。実は、それより前の1957年にはアメリカ(アイゼンハワー政権)が在韓米軍に戦術核を配備していました。通常兵力でまだ北朝鮮に劣っていた韓国としては、この戦術核によって安全保障は万全になったはずでした。

しかし、朴正煕を不安にさせる動きが相次ぎます。

中国の核保有と「ニクソン・ドクトリン」

1964年10月、中国が原爆の実験を成功させました。アジアで初めての核保有国の出現です。
韓国が懸念を覚えないはずがありません。当時は中国と国交がなく、ましてや朝鮮戦争で中国は北朝鮮を助けるために参戦した国なのです。

65年の年頭教書の中で、朴正煕は「中国の継続的な膨張主義と核実験、そして北韓の軍事力強化と南侵脅威に照らし、自由友邦との軍事的紐帯と集団防衛体制の確立を期して核および非核戦に対応できる機動性のある国防体制を整えるのに全力を注ぐ」と述べました。
通常戦力のみならず、核の脅威にも対応できるようにすると宣言したわけです。

そして、韓国は、アメリカから「在韓米軍の戦術核によって、韓国を確実に中国の核から守る」という言質を得ようと詰め寄ります。

ところが、この頃のアメリカは中国の核とICBM(大陸間弾道ミサイル)に備えてミサイル防衛網の構築に力を入れ始めていました。弾道ミサイルをミサイルで撃ち落とすABM(弾道弾迎撃ミサイル)という、現在にまで続く防衛構想です。そして、韓国に対して、ABMはあくまでアメリカ本土を対象にしたものであると説明し、朴正煕を失望させます。

懸念はさらに増大します。
ニクソン・ドクトリン」です。
1970年にニクソン米大統領の外交教書で正式に披露されたものです。ベトナム戦争の泥沼化を踏まえて、簡単にいえば「中国との関係改善をはかり、韓国に駐留させている軍隊を一部撤退させる」というものでした。

いざというとき、アメリカは韓国を本気で守らないなのではないか」という、現在にも通じる懸念が明確になったのです。

そして朴正煕は承認した

核を持った中国、そして核はないけれど断続的にテロ攻撃を続ける北朝鮮と対峙している。なのに、アメリカが十分に防衛してくれるのか疑問が拭えない。韓国を取り巻く国際情勢をじっくり分析した朴正煕は、秘密裏の核開発計画にゴーサインを出します。
コードネーム「890」計画。

計画の最大のポイントは、いかに核物質を再処理して核兵器用に転用するかでした。韓国は原子炉購入についてカナダと、再処理施設購入に関してはフランスと、それぞれ秘密裏に交渉を進めていきます。

インドの「微笑むブッダ」

中国の核保有に危機感を覚えて核開発に走ったのは、韓国だけではありません。インドもそうでした。

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