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「経済的威圧」 日本の「黒歴史」

G7貿易相会合が、10月28・29日の二日間にわたって大阪で開かれました。ニュースの見出しを飾っているのは「経済的威圧」への牽制でG7が足並みを揃えたこと。中国を意識した動きです。

経済産業省の資料を引用しますと、「経済的威圧」とは、「貿易措置等の執行や、それらを執行するという脅しにより、他国の政策的決定に影響を及ぼそうとする行為」です。

例えば、2020年にオーストラリア政府が新型コロナウイルスの起源を調査するよう求めたところ、中国がオーストラリア産ワインに高関税をかけて輸入を制限したのが典型例です。関税は最高で218%にも上がり、オーストラリア産ワインの対中輸出額は100分の1以下に激減。
あまりに露骨…

日本政府としては、いま、福島第一原発からの処理水放出に対して中国が海産物の輸入を全面的に停止したままなだけに、「経済的威圧」の理不尽さを改めて訴えたかったのでしょう。
なお、以前の記事でも書きましたが、私は中国の海産物輸入停止が「経済的威圧」に該当するケースなのか、懐疑的です。

それはさておき、一般論として中国に「経済的威圧」をやめるよう諭すのは、完全に正当です。であるからこそ、日本が同様の行為に手を染めた「黒歴史」についての総括も必要なように思えます。


徴用工訴訟×半島対素材

2019年7月、安倍政権のもとで経済産業省は「韓国向け輸出管理の運用見直し」を発表しました。安全保障上の友好国に付与している輸出管理の優遇措置を見直すというもので、いわゆる「ホワイト国」からの除外でした。
対象品目は、フッ化水素、フッ化ポリミイド、レジスト。いずれも韓国の主力産業である半導体製造に使われます。禁輸措置ではありませんでしたが、包括的な輸出許可から個別の輸出許可に変更するもので、手続きは一気に煩雑になりました。

背景には、徴用工訴訟問題をめぐる日韓の激しい対立がありました。正確にいえば、日本企業の敗訴から資産差し押さえへと司法手続きが進むことに安倍政権は激怒。一方の文在寅政権は「まずい展開だな…」と韓国司法の判断に困りつつも対応を放棄するという無責任ぶり。それにまた安倍政権が苛立つ…という状況でした。

「ホワイト国」から除外されたのは徴用工訴訟問題をめぐる報復と韓国は受け取りました。「個別の輸出許可に変更されることによって日本のさじ加減ひとつで輸入が停止するのではないか」、「半導体という主力産業を狙うことで我が国の経済成長を止める狙いがあるのではないか」、と猛反発。

日本政府の公式見解は、当時も、今も、「徴用工訴訟問題とは関係なく、安全保障の観点から判断した措置」です。

この説明、無理があり過ぎました。

そもそも、措置が発表された翌日、当時の世耕経産相は記者会見で徴用工訴訟問題について、6月末のG20サミットまでに「満足する解決策が得られなかった」、「韓国との信頼関係が著しく損なわれた」と述べました。
その後、安倍首相も、テレビ番組で「徴用工の問題で、国と国との条約(※日韓請求権協定を指す)を守らない国であれば(安全保障上の)貿易管理をしているかどうかわからないと考えるのは当然だ」と述べるなど、複数回、徴用工訴訟問題の文脈でこの輸出規制を語りました。
両者とも本音を漏らしていたのです。

実は、メディア各社も当初は「徴用工訴訟問題への事実上の対抗措置」と「正確に」伝えていました。
ところが、それでは「経済的威圧」に他ならず、WTOの貿易ルールに反すると気づいたのか、政権が「いやいやいや、徴用工の件とは無関係です」という線で見解を統一すると、メディアもその公式見解を無批判に流すだけとなりました。

一方、これは大いに歓迎すべきですが、今年、韓国の尹錫悦大統領が徴用工訴訟問題を解決する方策をまとめ上げて日韓関係が一気に改善するや、日本政府は半導体素材に関する輸出規制を速やかに解きました。
政治家たちも官僚たちも「これは徴用工問題での対抗策」という暗黙の了解があったからこそ成せた芸当です。あるいは公然の秘密というべきでしょうか。

それでもなお、「輸出規制(あるいは輸出管理強化)は徴用工訴訟問題とは関係ない!」と思われる方は、今年2月に出版された安倍氏の回顧録を参照されることをお勧めします。その中で、輸出規制には文在寅政権に徴用工問題解決を促すという政治的な狙いが含まれていたと「告白」しているのです。

「なかったこと」でいいの?

今回の貿易相会合でG7が中国に「経済的威圧」をするなと改めて声をあげたのは正当です。習近平政権に対して、いつまでも自分たちの巨大市場を武器にして自由貿易のルールにもとる行為を続ければ、各国とも対中ビジネスから手を引きかねないとクギをさすのは、中国のためにもなります。

正当であるからこそ、徴用工訴訟をめぐって安倍政権が始めた韓国に対する半導体素材の輸出規制を「なかったこと」のようにして、大阪開催のG7貿易相会合の結果に虚しさも覚えるのです。

少し見方を変えてみましょう。
もし徴用工訴訟をめぐる日韓のいがみ合いが今も続いていて、日本による半導体素材に関する措置が継続中であったとします。果たしてG7でスンナリまとまれたでしょうか?
G7メンバーではないものの、韓国から「ほう。『経済的威圧』はやめましょう、ですか。意義ありませんよ。しかるに、我が国に対する輸出規制は何なのですか?」という声が確実に出たでしょう。G7内からも日韓の対立は議論にのぼった可能性があります。
今回のG7貿易相会合がスムーズに進行したのだとすれば、それは尹錫悦大統領の政治決断に少なからず助けられたように思えてなりません。

政治の暴走をどう食い止めるか

実は、半導体素材の輸出規制について、最近、ある高位官僚と話す機会がありました。当時、私は経済産業省が率先してあのような措置を打ち出したような印象を覚えたのですが、その方は明確に否定しました。
「官僚は、各種の法律や条約に照らしてリスクがないかを徹底的に分析するのが習わしです。経産省は、ああした輸出規制で『WTOに訴えられたらどうしよう』と真っ先に考えたはず。上(安倍政権)から強硬に言われて、仕方なく進めたのですよ」と。

「徴用工訴訟×半導体素材」のケースは、「政」と「官」の関係をめぐる普遍的な問題ともいえます。有権者の付託を受けた政治家が決断を下すことの正統性と、行政のプロである官僚が合法的・合理的な選択肢を示すこととのバランス。政治の暴走をどのようにして食い止めるのかという命題に行きつくのかなと。

暴走を止める責任を「官」だけに押しつけるのはフェアじゃないですね。メディア、ジャーナリズムにも多大な責任があります。
自戒の念です。

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