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もう一つの「8月ジャーナリズム」

先日書いた記事で、日本では毎年8月になるとメディアが集中的に太平洋戦争を振り返って平和の尊さを伝える「8月ジャーナリズム」について、批判的にお伝えしました。

この中でサラッと触れたのですが、日本では8月15日が「終戦の日」となりましたが、これは国際的には殆ど通じない話です。

大日本帝国がポツダム宣言を受諾して降伏すると連合国側に伝えた8月14日をもってして戦争が終わったとする考え方もあります。あの玉音放送で昭和天皇が読み上げた終戦詔書も、日付は14日でした。

一方、国際的に最も採用(?)されている「終戦の日」は9月2日です。この日、戦艦ミズーリ号で日本が降伏文書に調印したためです。確かに、これで名実ともに戦争が終わったのは間違いありません。アメリカやロシアはこの日を対日戦勝記念日としています。中国では9月3日なのですが、これは、かつてソ連と歩調を合わせていた時代の名残で、詳細は省きます。
いずれにしろ、世界では広く「9月に戦争は終わった」と位置づけられているのです。

しかし、「8月15日に終戦」が国際的には「殆ど」通じないと書いたのは、例外がいくつかあるためです。その例外の代表格は、韓国。15日は韓国においては「光復節(광복절)」として、日本の植民地支配からの解放を記念する日です。

その韓国でも、ある種の「8月ジャーナリズム」が続いてきました。韓国内でそうした呼称はありませんが、引いた目線で見ると、歴然と存在しています。(冒頭の写真は韓国・天安(チョナン)市にある独立記念館。korea.netより)


8月15日 京城は平穏だった

玉音放送は、ラジオで流された昭和天皇による4分半ほどの詔書読み上げ(事前収録)です。ポツダム宣言受諾を国民に伝えるという目的はもちろんのこと、殆どの国民にとって初めて天皇の肉声を聞いたという意味でも歴史的でした。ところが、この玉音、雑音が多かったうえに難解な漢語がふんだんに用いられたため、ラジオの前に集まった人々の大半は意味がよく分からなかった、というのは有名な話です。
天皇の読み上げのあと、日本放送協会(今のNHKと同じ名称ですが、正確にいうとNHKの前身です)のアナウンサーが平易な言葉で30分以上も諸々を補足説明したことで、ようやく人々は戦争に負けたのだと理解しました。

玉音放送は、朝鮮や台湾、満州などの外地でも流されました。朝鮮の場合、京城(今のソウル)はじめ各地で人々は内地と同じようにラジオの周りに集まってジッと聴き入ったのですが、やはりよく理解できなかった人が殆どであったとのこと。

外地でもアナウンサーの補足説明があったのか、まだそこまで調べられていないのですが、いずれにしても京城の場合、玉音放送が流れたあとも15日は特段何も起きず、平穏のうちに過ぎていったと伝えられています。それは玉音放送が難解だったことに加えて、唐突な終戦に朝鮮の人たちはどう反応していいのか大いに戸惑ったことも影響したようです。

翌8月16日から、朝鮮各地で解放を喜ぶ動きが広がり、日本人たちは従来とは立場が逆転したのだと自覚して戦々恐々の日々となりました。

日本を指弾してきた韓国の「8月ジャーナリズム」だが…

日本の統治下にあった朝鮮は日本と交戦状態にあったわけではないので、1945年9月2日のミズーリ号における降伏文書に署名したわけではありません。おのずと「日帝の支配から解放された日=光復節」は8月15日になりました。

そして、韓国メディアは、毎年、この8月15日と「三一運動」が始まった3月1日に、日本による韓国併合の歴史を振り返ってきました。創氏改名をはじめとする皇民化政策や徴用、慰安婦問題など35年間にわたる苦難の証言などを集め、特集を組むのが恒例となりました。そして「光復節」当日は大統領の演説をはじめとする記念行事が催され、日本批判のボルテージが、とりわけ上がるのです。

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