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サクブン 取り戻そう日韓の失われた10年

写真は、10月3日に都内のホテルで開催された韓国大使館の「国慶の日」「国軍の日」レセプションからです。会場の真ん中には氷でつくられた南大門(正式名称は「崇礼門」)がありました。南大門の細部まで丁寧に彫られていたのに感心しましたが、何より驚いたのは、かなり広い宴会場が「立錐の地なし」といっても誇張ではないくらい大勢の人が詰めかけていたこと。
昨年の同レセプションにも来た人に話を聞いたら、比べ物にならないほど今年のほうが参加者は多いとのこと。その差は、もちろんコロナ禍の影響もあるでしょう。でも、それだけでないのも確かです。一年前とは比べ物にならないほど、日本と韓国の関係が改善したためです。

あまりに人が多くて、知り合いを見つけて挨拶するのも一苦労でした。料理をいただくための列も延びるわ延びるわ。並ぶ時間が惜しく感じられたので、とりあえずワイングラスをつかむことを優先しましたが、話を本筋に戻しましょう。

言葉を交わした人たちから私が一様に感じ取ったのは、安堵感でした。この10年ほど、日韓関係はかなりの低迷期でした。ようやく、そこから抜け出せたことへの安堵感が会場全体に満ちていたように思います。

低迷期の始まりは、李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島(韓国名:独島)を訪れたことでした。2012年8月。その後もいろいろありました。慰安婦問題に関して両国が「最終的・不可逆的」な合意に達したときはドラスティックに好転しましたが、それも長続きはせず。朴槿恵(パク・クネ)大統領が失脚して政権が進歩派の文在寅(ムン・ジェイン)大統領へと交代すると、慰安婦問題合意の骨抜きに徴用工訴訟の大法院判決まで加わり、政治面における両国のいがみ合いは目を覆いたくなるほどでした。

長々と振り返るのは控えますが、やはりこの10年ほどの日韓関係は正常とはいえないものでした。その真因については別の形で私見を紹介したいと思います。とにかく今は、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が政治的に極めて大きなリスクを負ってまで徴用工訴訟の解決策を打ち出したことで氷が融けたのです。両国政府、とりわけ日本政府には、この「失われた10年」を急いで取り戻すために尽力してほしいと思います。

何が「失われた」のか。個人的には、安全保障分野での協力と、共通する社会問題に対する知見の共有が、ひどく停滞したと考えています。
安保でいうと、GSOMIAが破棄される一歩手前まで事態は悪化してしまいました(これは韓国側により大きな問題がありました)。北朝鮮指導部は、さぞ快哉を叫んだことでしょう。
社会問題への知見の共有では、例えば、IT化の進展、音楽・映画などのソフトパワーの世界進出、(前回紹介した)学校給食の無償化など、日本が大いに参考にできる韓国の取り組みは少なくありませんでした。ですが、政治面での関係悪化は世間の「嫌韓感情」を煽る結果となり、「韓国から学ぼう」という声は極めて出しづらくなったと感じたのは私だけでしょうか。
自戒を込めて振り返ると、メディアでも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」かのような韓国批判のエスカレーションがありました。

話が飛躍していると感じる方もいるでしょうが…
先に自民党女性局の一行がフランスを「研修」で訪れてエッフェル塔の前でポーズを決め、大炎上したのは記憶に新しいところです。自民党はもっぱら「不適切な情報発信」についてしか謝罪していませんが、費用や「研修」内容なども突っ込まれています。
この一件、スイスのジュネーブに(だいぶ前ですが)駐在した経験から最初に考えたのは、そもそも論でした。そもそも日本とフランスとではそれぞれの歴史を背景に構築された社会制度や国民の考え方がかなり違います。そういうフランスの少子化への取り組みや女性の社会進出などを視察するのが、果たして日本にとってどれだけ参考になるのか…と。韓国や台湾など、日本と背景や思考方式、そして直面する課題が似ているところのほうが、取り入れやすい知見を得やすいでしょうにと。それは、今回最も炎上した松川るい参議院議員が、実は相当な韓国通であるから余計にそう思えました。

この10年ほどは、日韓両国にとって不幸な期間でした。ですが、これから両国の政治家、経済人、識者、そしてジャーナリストたちがそれぞれの分野で両国の協力深化と知見の交換に尽力すれば、多少なりとも遅れを取り戻せるでしょう。

といったことをアレコレ考えながら、帰宅の途につきました。

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