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李克強前首相急死をめぐる「ざわつき」

NHKから独立してみて、ニュースとどう向き合うべきか改めて考えることが増えました。ひとつ、思いを強くしていることがあります。SNSで人々の本音が瞬く間に広がるこの時代において、大手メディアが従来のように公式発表や建前にこだわれば視聴者・読者との距離が広がるだけではないか、ということです。
もう少し、大手メディアの側も本音を率直に出していいように思えます。

直近でいえば、なぜ中国指導部から引退した李克強前首相の急死をどの社も速報で伝えたのでしょうか。まだ68歳という若さへの驚きから?
違いますよね。
ニュース原稿に盛り込むのは憚られるものの、「習近平指導部に『消されたか⁈』という戦慄が走ったので速報した」というのが各社ニュースデスクたちの本音でしょう。

まあ、今回ケースでは、少なからぬ視聴者・読者も同様の戦慄を感じたので、記事に本音は書かなくても「言わんとすること」は伝わったかなと思います。

では、実際のところ、どうなのでしょうか。


第一報

時系列に検証します。
これまでに報じられた情報を整理すると、10月26日、李克強氏は上海にある高級ホテルのプールで泳いでいた際に心臓発作に襲われました。ただちに病院に搬送され、医師団が懸命の救命措置をほどこしたものの、その甲斐なく、27日午前0時10分(現地時間)に亡くなります。
国営新華社通信が死去の第一報を伝えたのは午前8時20分ごろ。ずいぶん時間が経ってからです。しかも「李克強同志逝世」という見出しの記事はいたって短く、上海で亡くなったということくらいしか分からない「薄さ」でした。同じ内容をアナウンサーが読み上げたCCTV(中国中央テレビ)のニュースは、尺にして30秒もありません。

死去が確認されたから8時間も経って、やっと報じられたがのこの短いニュースだというのに強い違和感を覚える方も多いでしょう。ただ、中国で最高指導部メンバーの健康状態はいわば国家機密扱いです。引退したとはいえ、李克強氏の急死をどのように公にするのか、中南海で夜を徹しての議論が繰り広げられたのは想像に難くありません。

香港メディアは、「むしろ朝に第一報が出たことに注目すべきだ」という識者の分析を伝えています。李克強氏の活動を詳しく評価することになる訃報を準備できるまで死去を伏せるのではなく、短くてもいいから人民に事実を伝えようという結論に至ったのがポイントだというわけです。それは、いたずらに伏せたことが後になって明るみに出れば、「謀略説」「陰謀論」を抑えるのが難しくなるので、中国なりの透明性をアピールしようという判断だというのです。

なにしろ、外相や国防相が突然解任され、その理由も明らかにされないお国柄というか「指導部柄」です。自分たちの政治手法には「粛清」という二文字が漂っていることを自覚しているようです。

このように、「出されたことに意味がある」第一報は、「訃報は後ほど発する」というコメントで締めくくられました。
しかし、実際にその訃報が登場したのは第一報から実に10時間後、27日夕方でした。

10時間の間に何が…

朝の第一報から夕方まで待たないと訃報が伝えられなかったのは、何を意味しているのでしょうか。それは、メディア業界でいうところの「死亡予定稿」は準備されていなかったということです。李克強氏は以前に冠動脈のバイパス手術を受けたことがあり、今回は上海で静養中でだったそうですが、心臓発作に襲われた場所がプールということからも分かる通り、急死するような兆候は見えなかったのでしょう。

むやみに死去を伏せなかったことと合わせて、新華社通信編集部はじめ誰もが虚を突かれたことが窺える対応は、「陰謀論」を打ち消すファクターです。一切明記はしていないものの、行間からは、「本当に予想外だったのだ!やましいところはない!」と中南海が人民に訴えているかのようです。

「リコノミクス」には触れられず

ようやく出された訃報は、しかしというべきか、案の定というべきか、李克強氏への哀悼以上に習近平氏の権威維持に重点が置かれていました。

一応は李克強氏について「党と国家の卓越した指導者」と呼び、新型コロナ、経済停滞など「多くの試練に直面する中、新たな発展構造を構築し、質の高い発展を推進した」と評価はしました。

しかし、経済学の博士号を持った彼の名前にちなんだ「リコノミクス」という経済政策への言及はありませんでした。代わりに強調されたのは、「首相退任後も習近平同志を核心とする党中央の指導を断固として支持した」という主張。

太子党(中国共産党の高級幹部の子弟たち)の習近平氏と共青団(共産主義青年団)出身の李克強氏はもともとライバル関係にあり、経済対策をめぐっても衝突したあげく、習近平氏が「リコノミクス」を排除していったのは中国人なら誰もが知っています。昨年10月の共産党大会で、李克強氏は慣例的な引退年齢の68歳になっていなかったのに、最高指導部から退きました。国営メディアは彼が「自主的に」身を引いたのだと強調しましたが、さて、どれだけの人が真に受けたのやら。

CCTVのメインニュース番組での扱いも、彼の訃報は習近平氏が開いた政治局会議や李強首相の外交のあと、3番目の項目。しかも映像が使われず、顔写真だけという、得も言われぬ微妙な扱いでした。
また、NHKの海外向け放送「ワールド・プレミアム」が訃報のニュースを伝えた際、「習近平国家主席の権力が強まる一方で、李前首相の存在感が低下し、ことし3月に首相を退任した」などと報じた部分で放送が一時中断されたとのこと。

ざわつく中国

中国指導部が李克強氏の急死をどう扱うか神経質になっているのは、亡くなった指導者への哀悼が人民の大規模抗議行動につながった歴史があるためです。

天安門事件は二つあるのですが、二つとも上記のケースに当てはまります。

1976年の第一次天安門事件は、天安門前の「人民英雄記念碑」に捧げられた周恩来元首相追悼の花輪が当局によって撤去されたことが引き金となって多くの人が抗議して騒乱となりました。
より有名な1989年の第二次天安門事件は、天安門広場で胡耀邦元総書記の死去を追悼するために集まった学生らの間で民主化を求める声が急速に高まり、最後は人民解放軍に弾圧されました。

周恩来も胡耀邦も、人々から尊敬されていました。いま、中国のネット上では経済の安定や科学技術の発展に尽力した李克強氏を悼む声が広がっています。過去の歴史の記憶も絡み合い、李克強氏の急死をめぐる人民のざわつきが、習近平指導部に対する抗議活動へとつながるのか、世界の関心が高まっています。

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