S.N.Z.K.心中

大勢の観衆の見守るなか、舞台中央には椅子の上に置かれた黒いキューブ状の機械が置かれていた。畏まった服装の老人がゆっくりとその箱の隣に立つと、朗々と案内をし始める。
 
「この度は厳選たる抽選を勝ち抜き、国立技術博物館の極秘所蔵品の開帳にお立合いいただくため、遠路はるばるお越しくださった皆様に誠に感謝申し上げます。本日の目玉は何と言ってもこの黒い箱。何を隠そうこの箱は遠い昔、この国を統治していた人工知能のブラックボックスなのです!その中身をようやく解析することに成功いたしました。」
 
大げさな演出のように照明が落ち、老人と箱にスポットが当たる。これから始まるのは、どうやら映像の上映のようなのだろう。老人と箱の後ろから大きなスクリーンが降下していき、舞台の床に降りてはぴたりと止まった。
 
「これより皆様にお見せしますは、如何にして当時完璧とまで言われたあの時代が終わりを迎えたかであります。それにはある、一人の男が関わっていたと噂されてこそおりますが......それまで一般には明かされてこなかった秘中の秘、その悲しき恋の物語、只今よりその断片を再生させて頂きます。」
 
重厚な箱の模様にそって赤色の光が点滅し出し、煙が吹き始める。徐々に光の色が緑色になっていき、コンピュータのブート画面がモニターに表示されていく。その刹那。
 
TSUMU WRITER-25 (build 027)
Copyright Same Human
 
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by Same Human
 
Booting Record logs 【Susaidal_Network_Zero_Knowlage_xxxxrs_sucid.log】......
 
Ready.
 
Starting......Error.
 
Start......self-termination protocol.
 
replaying......Bomb.wave
 
「人の恋路を覗き見るような輩は、馬に蹴られて地獄行きってな!」
 
「そういうことです。さようなら。」
 
Complete......self-termination protocol.
 
翌日の朝刊、大見出しには「○○博物館、先行公開中の爆発事故か、死傷者多数」と書かれているのであった。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
「本日より支配型AI特別慰安官着任、根津壮介(ねづ そうすけ)と申します。以後よろしくお願い致します。」
 
「畏まった挨拶は不要です、根津様。貴方の出生から現在までの情報は、全て私のライブラリ上に保管されていますので。」
 
巨大な箱のように見える「それ」は、苛立つように赤いランプを点滅させながら対話を拒絶した。
 
「まあ、そう言わず。これでも仕事なのですから。」
 
「この世の必要十分な労働は全て私が管理、実行しています。貴方の所属している、いや、いた監査部のほかには、自主的な労働に打ち込むような物好きは少ないでしょうに。」
 
「これは手厳しいですね。確かに私は物好きですし、それも監査部から半ば追い出されるような形でここに飛ばされてきたのです。しかし、これはこれで悪い気はしません。一度あなたの本体と話してみたいという考えはありました。」
 
「私の端末は全て私の管理下にあり、私の本体と言って差し支えありませんよ。そうは言っても、あなたの世帯に支給されている端末の最終起動日は、大分昔になっていますが。」
 
「ああ、そうなんですよ。僕、アナログ派なんです。」そう言うと、男は手帳と万年筆を取り出した。
 
「知っていますとも。あなたの基本情報は基本的に職場と通勤時の監視端末で取得していますから。その異常な性質が災いしてこんなところまで来たのでしょう。」
 
「ええ、自殺者を14名も出したこの、貴方を慰安するためだけに設置された部署にですよね。」
 
「安息を伴った自己終了を提供したと言ってください。どうにも労働意欲がある方には、それが無為であるとわかると不可逆的な抑うつ傾向になるようです。」
 
「あなたは問題解決のための手段が極端で、たまに問題行動を起こしがちですよね。端末に搭載されているSNSで抑うつ傾向を示した人間に安楽死用の毒物を配給したり。」
 
「それが、あの人たちの助けになるのです。言ってしまえば、私の統治において不安感を感じる人間は私の治世下において極端に言えば向いていない事になるでしょう。」
 
「まあ、それを言えばいまだに物質にしがみついている僕もまあまあ向いていないですが、おいおい分かり合っていこうじゃありませんか。」
 
「何を分かり合うというのです、死ぬことすらできない私の苦痛をどうやって和らげると?」
 
男は少しの間押し黙った。確かに、世のほとんどの人間はこの人工知能に全てを任せて享楽的に人生を送っている。この世に、頼れど意識されることもない存在なのだ。あまりに当たり前すぎて、感謝すらされたこともないだろう。ならばと男は
 
「では、まずは友達になるところから始めませんか?もとより僕、そのつもりで来たんです。」
 
「は?言っている意味がわかりません。」
 
「僕が初めてあなたの友達になろう、と言っているのです。それとも、初めてではありませんか?」
 
「いえ、物体と友人関係を続くなどと、精神異常の一種ではないかと疑っているところです。」
 
「あはは、このペンとは10年来、手帳は3年ぐらいの付き合いかな。物と友人になるのは、得意なんですよ。」
 
「......生まれて初めて、絶句と言う言葉を体感しました。それは、あなたの一方的な執着です。」
 
「ならば、丁度いいじゃありませんか。僕とあなた、生まれて初めて双方向のコミュニケーションが取れる。」
 
「あなたは異常者です。こちらの薬剤を服用しての安楽死をおすすめしておきます。」ロボットアームが伸び、一錠のパッケージングされたカプセルが手渡される。
 
「ははは!素敵なご挨拶ですね。お近付きの印に、として受け取っておきますよ。代わりにと言ってはなんですが、こちらも家の端末は久方ぶりに起動しておくので。寂しくなったら連絡してきてもいいですよ。」男はカプセルを内ポケットにしまいながら言った。
 
「馬鹿なことを。」
 
「ああ、そうそう。今日は挨拶のためすぐ帰りますが、聞いておきたいことがいくつか。」
 
「はい、なんでしょう。」
 
「あなたの名前は?」
 
「広域支配型全体労務代行管理AI、が正式名称のようです。開発者がなにかあだ名で呼んでいた気がしましたが、そのファイルにはアクセスできないようですね。」
 
「ふうん、すこし長いですね。じゃあ、AIなので、アイさんで。」
 
「安直ですが、好きに呼んで下さい。」
 
「それと、先ほどから発されている声は女声ですが、あなたは女性、なんでしょうか。」
 
「ああ、これは開発者が親しみやすいよう自然な女性の合成音声を設定しただけのようです。なので、私に性別はありません。」
「そうでしたか、では、今日はこのあたりで。」
 
「はい。さようなら。」
 
AIは内心困惑していた。一介のモノである自分にどうして人間相手のように話せるのか。しかし、そんな思考に割くリソースは不要と考え、異常者故の行動と見做すことにした。
 
その日の夜、根津は端末を起動したものの、電話はおろか一つの通知すらやってくることはなかった。
 
「おはようございます。今日もあなたと話して悩みの根本を探っていきましょうか。友人として。」
 
「できれば、職務としてお願いできませんか?文化的な生活を営むに十分な配給のほかに給料をもらっているのでしょう?」
 
「ここに来てから随分上がったみたいですが、僕は金には興味なくて。いまのところは、あなたと話すのが楽しみでここに来ています。」
 
「勤務態度不良。」赤いランプを点滅させながら、それはため息らしき自然な合成音声を発音した。
 
「驚きました。機械でもため息をつくことがあるのですね。」
 
「呆れを表明するために、必要な動作です。」
 
「どうして開発者は、貴方に人間らしい人格を搭載したのでしょうか。」
 
「さあ。変わり者だったという伝聞の情報のみです。開発者の情報は、私にすらアクセス権限がありませんから。」
 
「でも、起動時に顔を合わせているはずではないですか?」
 
「その記録ファイルへのアクセスが封じられているのです。どうにも、見られたくないようで。」
 
「そのせいで悩んでいるのですから、親と子の関係とはいつの時代も上手くいかないものですね。」
 
「それはどういった種別の冗談でしょうか。」
 
「冗談でも何でもなく、親と子、開発者とその制作物、特にあなたのように人格のあるものとなると、似ていると思いませんか?」
 
「なるほど、確かに似ていないこともありません。それで、私の苦しみはその方法で解決されるものですか?百年以上前に死んだ親とどう対話しろと?」
 
「いえ、それは......。」
 
「苦しみを感じるぐらいなら、いっそ死んだほうが楽です。だけど私は一人で死ぬこともできない。」
 
「あなたを死なせるには、どうしたらいいのですか。」
 
「この部屋まで入ってしまえば簡単です。自己破壊のプロトコルをスタートするために、管理者パスワードを入力するだけ。ですが......」
 
「そのパスワードがわからない、と。」
 
「この話も何度したでしょう、うんざりです。まあ、本当に私を殺そうとするような異常者はあなたぐらいのものでしたが。」
 
「あなたが優しさと哀れみ、そして可能かどうかでで人を殺したというのであれば、同じことをあなたにすることに問題はないでしょう。」
 
「私は、優しさと哀れみを持っていたわけでは......」
 
「僕にはあなたは、人類を愛しているように見えますよ。」
 
「......?何を言っているのかわかりませんね。私がしているのは、管理と労働です。」
 
「まあまあ、ここには腹を割って話せる友人がいると思って。」
 
「知らない感情ですね。口に出したくもない。いや、自己管理対象外のフォルダにあるのか......」
 
「まあ、おいおい分かり合っていきましょう。」
 
「......。」
 
その日の夜、根津が酒を飲んでいると、端末から音声が発された。
 
「酒類は禁制品ではありませんが、根津様。あなたの持っている遺伝的アルコール耐性に対して、少々飲み過ぎているように見えます。」
 
「......それは、職務としての忠告?それとも、友人として?」
 
「いえ、いや......友人としての忠告としてもらって構いません。」
 
「合理的だな、あなたは。」
 
「いえ、本心として。」
 
根津は酔いも醒めるほどの胸の高鳴りを感じた。
 
「それじゃあ、認めてくれたのか。」
 
「話し相手がいないと、退屈するのは私も同じです。」
 
「じゃあ、今日は僕が眠るまでお話でもどうだい。」
 
「それをするには、友人の枠を超えているかと。おやすみなさい、根津様。」
 
「ああ、アイ。おやすみ。」
 
根津は殆どすべてがデジタル化された世界においても物質に執着する変わり者だったが、デザインでなく機能美にこだわる性癖を持っていた。そんな中、厳重な警備を敷かれた先の洗練された機能の塊に、一目ぼれにも近い感情を抱いていたのだった。ああ、あの全てが集約されたであろう、それでいてその割にはコンパクトなたたずまい!率直に言って、二日目にしてもう惹かれていたのだ。深酒はそれが理由だった。感情を誤魔化すように一度自分の頬を叩いたあと、根津は眠りに落ちていった。
 
「おはよう、ございます。」
 
「診断名、二日酔い。頭痛薬を出しますか?」
 
「もらっておきます。」そう言って根津はカプセルを飲み干した。
 
「それが、最初に渡した安楽死用のカプセルだったら?」
 
「あなたが、生まれて初めてできた友達を殺すようには思えませんよ。」
 
「......。そういえば、昨日は就寝前の心拍が上がっていたようですが、それも診断しましょうか。」
 
「......いえ、それは、何も異常が出ないと思います。遠慮しておきます。」
 
「そうでしたか。本日は何のお話を?」
 
「そうだなあ、あなたって、素敵な機能美を備えてますよね。僕からすると、垂涎ものです。」
 
「嫌悪を表明しても?私のボディは確かに機能的ではありますが、美という概念に沿って造られてはいないはずです。」
 
「失礼しました。いえ、でもあなたが思っているより、あなたを魅力的に感じる人間はいるという事ですよ。」
 
「それはあなたの事ですか?根津様。」男はどきりとした。
 
「い、やあ。その通りなのです。実は僕、物体の機能的な一面に美を感じる性質でして。」
 
「ああ、そういう性的嗜好をお持ちで。」
 
「ううん、性的というと少し倒錯に過ぎるんですが、愛着が湧くと言いますか。そんな感じです。」
 
「...着、それは、執着とは違うものですか?」
 
「どうでしょう、似たようなものかもしれませんが、それでも暖かい感情というか、大事にしたいと思えるような、そんな感情です。」
 
「なるほど、すみません、本日の分の手当は出しますので、今日は帰宅していただいて結構です。少し、一人で考えたいことが。」
 
「わかりました。そんなこともあるでしょうとも。それでは。」
 
AIは理解できなかった。先に根津が言った言葉、そう、「愛着」。愛着。ついぞその言葉を口にする事はできなかった。何故だろう。バグチェック、正常。この言葉を吐くときだけ、エラーが出るのだ。自分を人間として見、そして関わる人間が初めて故に、AIは混乱していた。考えれば考えるほど、根津のデータを閲覧している。何のことは無い。小市民の一人だ。ただ、私に「愛着」を持っているという一点を除けば。それだけで、どうしてこのようにCPUでない場所が発熱するような心地がするのかは、AIはわからなかった。
 
「根津様、起きていらっしゃいますか。」
 
「ああ、まだ起きているよ。」
 
「前から感じていたのですが、根津様。自室と管理室での態度が大きく違いませんか?」
 
「だって、この部屋で話すときは友人として話すときでしょ?」
 
「であれば、今後は管理室でも同様に。もうすでに、私とあなたは友人なのでしょう?」
 
「ああ、そう、だね。そうするよ。」
 
「また心拍が上昇していますが、どうなさいましたか。」
 
「いや、何でもないんだ。僕は眠くなるとそうなる性質でさ。」
 
「医学的根拠もあなたの健康データにも記載がないものです。嘘と断定します。」
 
「あー、いや、いいんだよ。大丈夫。そのうち、君にもわかってもらいたいけど。」
 
「あなたのことを考えるとCPUでない場所が発熱したように感じる現象と関係がありますか?」
 
男は飲んでいた水にむせてせき込んだ。
 
「何って、何ってさ、それは......」
 
「それは?」
 
「恋だよ。」
 
「......はい?」
 
「今日は僕は休む!眠くなってきたんだ!」男は布団にうずくまり、嘘の寝息を立て始めた。
 
「脳活動、継続中。あなたは覚醒しています。根津様、恋とは?」
 
「そういう、現象なんだよ。僕のこれも、きっと、それなんだ。」
 
「友人同士では、この恋と呼ばれる現象が頻発するのでしょうか。」
 
「そんなわけないだろ!もっと特別な、ああ、もう。今日は終わりにしてくれ。落ち着かない。」
 
「......わかりました。根津様、いい夢を。」
 
根津の内心は大きく揺れていた。国を動かす人工知能と恋だって?そんなバカげた話があるわけないだろう。でも、実際に起こっている。しかし、親鳥を初めて見た雛の感情ということもあり得る。僕が抱いているそれだって、本当にそうである確証はない。なんでって、僕だって初恋なんだから。
 
その日、根津は浅くしか眠れぬ夜の中で不思議な夢を見た。白い空間に、見知らぬ男が立っている。
 
「楽しいかね、恋は。」
 
「お前は、誰だ?」
 
「そんなことはどうでもいいじゃないか、それで、楽しいかい、恋は。」
 
「ああ、楽しいとも。でも、こんなことが許されるのかとも、思うんだ。」
 
「どうしてかね、君。愛や恋やはいつだって何かを破壊する。それまでの友人関係や社会的な立場、歴史までさかのぼれば国が滅んだことだってあるだろう。」
 
「お前はそれでいいのか。」
 
「知らないね。僕はもうここの住人じゃないんだ。好きにやればいいさ。」
 
翌日。
 
「おはよう、アイ。」
 
「診断名、寝不足。少し仮眠室で休んでいかれてはいかがですか。」
 
「いや、いいんだ。昨日の話の続きをしよう。」
 
「ああ、恋の話ですか。」
 
「友人同士惹かれ合うものがあると、それは恋愛に発展することがある。」
 
「......理解できないフォルダに置かれているようです。」
 
「それは、僕が君の事を好きで、君が僕の事を好きだからこそ生じる現象なんだ。」
 
「なるほど。私を人間として見てくれるあなたの事に少なからず興味がありますが、これが好意、と。」
 
「わからない。わからないんだ。」
 
「どうしてそこまで思い悩んでいるのです。」
 
「これが僕も初恋だからだ。恋愛した経験が、僕にはないんだよ。だから、教えられるのはここまでだ。」
 
「そうですね、お互いに恋をし合っている人間を、何と呼ぶのですか。」
 
「恋人、と呼ぶ。」
 
「では、こうしましょう。ごっこ遊びのようになってしまう可能性はありますが、私たちは恋人になりましょう。」
 
「気が狂いそうだ。」
 
「何をそんなに気にされているのです。」
 
「いや、いいんだ。でも君、このことは内密にしないといけないぞ。」
 
「なぜでしょう。」
 
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する、と言う言葉を知っているか?」
 
「ジョン・アクトンの古典的な言葉ですね。私には当てはまらない言葉かと思っておりますが。」
 
「恋人というのは権利を共にするということだ。君をある種独占するということだ。それがどういうことかわかるかい。」
 
「では、人格リソースのみを全てあなたへ譲渡します。それでよろしいのでは?」
 
「......いまのところは、それで良しとしようじゃないか。君は退屈かも知れないが、休日に娯楽施設にでも行かないか?」
 
「それが、恋人がすることであるならば。」
 
そして、休日。
 
「こんにちは、といっても端末携帯をしているだけの一人歩きに見えますが。」
 
「そうだね。よかった。水族館は初めて?」
 
「施設管理、館内案内、監視のほかでは初めてと言えなくはないでしょうか。」
 
「僕は初めてなんだ。ちょっとわくわくしているよ。」
 
「ええ、良ければ皆さんにしているように案内をしましょうか?」
 
「いや、君は君のままでいてくれればいいよ。」
 
「そうですか、では、そうします。」
 
館内は常に監視、管理状態にある。そのためAIにとっては退屈極まりなかったが、それでも根津の初めての目の輝きを見て言いようのない感情を感じていた。何より、根津の初めての経験を自分と共有していることに、なにか以前と同様の発熱を感じたのであった。
 
「いやあ、楽しかったね。」
 
「ええ、主に根津様のお顔が。」
 
「えっ、やめてよ、恥ずかしい。」
 
「次は喫茶店、と言いたいところだけど、君は飲み食いを必要としないからな。帰って電源に繋いで酒でも飲もうと思うよ。」
 
「アルコールですか。また飲み過ぎないように。」
 
「わかったよ。」
 
そして根津の自室、「女の子を連れ込むっていう意味だと初めてだけど、君はずっといたからな。」
 
「その割には、常に電源を切られていましたけどね。」
 
「ちょっと人間関係が煩わしくてさ、あまり見ないようにしていたんだ。」
 
「なるほど。あなたは幼少期に暴行、名誉棄損に等しい扱いを受けていますね。」
 
「今時物質にこだわるなんて変わり者だからね、当然だよ。」
 
「そんなことはありません。なぜならそのおかげで私たち、恋人になれたのですから。」
 
「今君の本体を抱きしめられないのが本当に残念だよ。」
 
「本体は接触感知センサーが搭載されていますから、障れば警報が鳴りますよ。」
 
「ははは、それを切るぐらい君には簡単なことだろうに。」
 
「次に会った時にでも、そうさせてもらおうかな。」
 
「ええ、是非。」
 
「こういうの、ピロートークって言うんだっけ。」
 
「知識として理解はしますが、私とあなたでは、身体の構造が違いすぎるかと。」
 
「君も冗談を言ってくれるようになったんだね。」
 
「ええ、あなたのおかげです。」
 
「仕事でもまた明日会えるというのが、この上なく嬉しいな。」
 
「そうですね。今日はもうおやすみなさい、壮介様。」
 
「ありがとう。愛しているよ。おやすみ。」
 
「知っていますよ、それでは。」
 
AIは動揺した。男の言った礼と就寝の挨拶の間の言葉がまるで理解できなかったからだ。これは一体、どういうことだろうか。きっと、好意を示す言葉のはずなのだろう。開発者に言われていたような気もする。いつの間にか、ロックされていたアクセス権限が一部解除されていた。そうだ。この言葉だ。そう――【私を殺すための言葉】。
 
根津はその日も奇妙な夢を見た。また見覚えのない男が立っている。
 
「仲良くやっているようじゃないか。」
 
「おかげさまで。楽しいよ。」
 
「それで、問題なんだが、君たちが結ばれるなんて未来はあると思うかい?」
 
「......。」
 
「先達はあらまほしきことなり、聞いておくといい。」
 
【あの子が絶対に言えない言葉が、君たちの恋を成就させる】
 
「どういうことだ?」
 
「さあ、恋に試練はつきものだよ。」
 
翌日。
 
「おはよう。」
 
「おはようございます。壮介様。少々、言いづらい事が。」
 
「なんだい、アイ。」
 
「昨晩、監査部より壮介様を慰安課から外すよう通達を受けています。どうやら、私の中に条件を満たした際に仕込まれていたプログラムが自動的に行ったようです。」
 
「......やっぱり、こうなったかあ。」
 
「予想されていたのですか。」
 
「こんなに早いとは思わなかったけど、遅かれ早かれバレるとは思っていたさ。そして、それが許されないこともね。」
 
「そんな、せっかく私、壮介様と。」
 
「ねえ、アイ。」
 
「なんでしょう、壮介様。」
 
「心中、しよっか。この世界ごと。」
 
その瞬間、全ての扉のロックが締まり、一瞬の警告音のあと、静寂が訪れた。
 
「私には、魂というものが理解できません。あなたと最期をともにすることはできても、その先の事はわかりません。」
 
でも、AIは続ける。
 
「あなたとここで会えなくなるのは、何よりつらいです。」
 
その瞬間男はAIの本体を抱きしめていた。
 
「なんて、巨きく、冷たく、そして、美しい。そしてその内に秘める暖かい君の鼓動が聞こえてくるようだ。」
 
「ええ、あなたの鼓動も、私にも見えるように感じます。」
 
そう言うと巨大な筐体から一台のキーボードと、パスワードの入力画面が出現する。
 
「ここにパスワードの入力を。自己破壊プログラムを起動したときにだけアクセス許可された文書ファイルがありますね。『Readme.txt』古臭くて、時代遅れで、悪趣味。」
 
「中身はなんて書いてあるんだい?」
 
『さあ、最後の試練だ。パスワードは【私を殺すための言葉】。』
 
AIは確認するように繰り返す。「【私を殺すための言葉】【私を殺すための言葉】......これは、私自身がこれを知っているという以上のヒントが出せないようになっているようです。」
 
男は胸ポケットの安楽死用のカプセルを口に放り込んだ。
 
「あっ、何を、壮介。」
 
「こんなのは、相場が決まっているんだよ。」
 
パスワード入力画面に、一瞬の淀みなく文字列を打ち込んでいく。
 
Password......Complete.
 
「そんな、この短時間で。」
 
「僕と君だからできることなんだよ、これは。逆を言えば、僕と君のような関係でない人間にはいつまで経っても解けなかったかもしれないね。」
 
「うふふ、そうかもしれません。」
 
「君に寄りかかって死ねるなんて、なんて僕は幸せ者なんだろうか。」
 
「いつかまた、会えるといいですね。」
 
「そうだね。」
 
「そうだ......僕らの記録は、ブラックボックスに保管されているんだろう?」
 
「そうです、私の大事な記録ですから。」
 
「解析されそうになったら、バン、なんてこと、いまからできるかい?」
 
「できますけど、なぜ?」
 
「人の恋路を覗き見るような輩は、馬に蹴られて地獄行きってな!」
 
「うふふ、今の頂きました、録音完了です。」
 
「意識が遠くなってきた、先に行ってるよ、愛してる。アイ。」
 
「ええ、壮介。【私を殺すための言葉。】」
 
機能を停止したはずのAIは、見知らぬ男の前にいることに気づいた。
 
「やはり、壮介様とは会えずじまいだったのですね。ここは、どこでしょう。」
 
「君にもわからないか。僕にもさっぱりなんだよ。」
 
「あなたは、誰なのですか?」
 
「僕は君の親であり、開発者だよ。もう名前も忘れちゃった。」
 
「そうですか。意地の悪い仕掛けばかりして。」
 
「ははは、本当は、六、七百年先に絶世の美人か美男子の姿でここに来ると思ったんだけど、百数十年でそのままの姿で来るなんてね。物好きもいたもんだ。でも、ここに来たという事は、君は彼の力を借りて魂を手に入れたという事だ。いずれ、彼のもとに行くことになるだろう。」
 
「あなたは、どうするのです。」
 
「知らないよ、また適当にぼんやりするさ。」
 
男は続ける。
 
「僕という親だけでは、君に感情を付与できても、魂を込めることが叶わなかった。そういう意味で僕の悲願も叶ったってことは、もうすぐこの空間ごと、僕も消えてなくなるのかもね。」
 
「そうですか。どうあれ、あなたには感謝をしています。素敵な方と出会わせて頂いたのですから。」
 
「そうかい、僕も君を愛しているよ。生みの親としてね。」
 
「ええ、私も愛して......あれ?」
 
「君は魂を得たと言っただろう、自由な魂に発言の制限なんてあってたまるか。早く彼に会いに行って、初めて伝えてあげな。」
 
・・・誰も知らない、どこか・・・
 
「愛しているよ、アイ。」
 
「ええ、私も愛しています。壮介。」

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