必要な配慮は、周囲に「柔軟な価値観」がないと成り立たないのではないか…
自閉症の障害特性は、目には見えないものです。社会性、コミュニケーション、想像力といった特性(昔で言うとこの三つ組の特性)は、障害の程度に関係なく分かりにくく感じます。そのため、一人ひとりに合わせた「合理的配慮」を考えようとなると、分かりにくい特性のために「どこまで配慮すれば良いか」も検討しづらくなります。
自閉症は、「見えないことを想像することが難しい」というのが大きな特徴です。先ほどの三つ組の特性で言えば、「想像力の特性」になります。相手の気持ち、初めてのこと、変化変更、未来や将来のこと、暗黙のルール、時間管理など、見えないことは挙げればキリがないです。
「見えないこと」をどれくらい想像できないかと言えば、それはそれで人それぞれです。個人差もあって特性理解は難しさがありますが、例えば、1日のスケジュールを書いて伝えたり、週間や月間で予定表を視覚的に示すことで見えないことは見えるようになり、見通しが持ちやすくなります。そして、自閉症の人は安心して活動に取り組めるようになります。つまり、「見えないことを見えるようにすること」は合理的配慮につながります。
福祉施設でも、職場でも、時には家庭でも、スケジュールや予定表と名のつくものは、最初は本人に対して提示がされ、最初は視覚的な配慮が提供されやすかったりします。ただ、その環境に慣れてくると、いつのまにかスケジュールや予定表は自然消滅してしまいます。これって、結構あるあるな話です。「慣れてきたから大丈夫」「無しでも動くことができている」「本人も困ってると言ってこない」など、周囲にいる支援者と言われる人たちの主張もまた、それぞれです。
忘れてはいけないのは、自閉症の人にとって視覚的な支援や手がかりは、なくてはならないものということ。視力がよくないならメガネやコンタクトは必須ですし、車イスだって移動が困難な人にとっては無いととても困ります。僕も、コンタクトがないと生きていけないです。
そこには、周囲の人たちが持つ価値観の偏りが視覚的な支援を自然消滅させ、物申さない(せない)自閉症の人たちがそれなりに適応できていると認識しているのかもしれません。周囲の人にとっては、「どこまで配慮すればいいか」までは考えが及ばないのかもしれません。
一人ひとりにある価値観は、生まれ育った環境や社会人として頑張ってきた中などで育まれていくもので、一人ひとりにとってはとても大事なものです。そこは、否定しちゃいけないです。でも、だからといって、自閉症の人に必要な配慮が、学校や家庭、職場で適切に提供されないのは違うように思います。
このことは、これからも忘れないようにしたいです。
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