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「娘さんを僕にください」ってフレーズ、違和感ないか?

「おい松尾」
「どうした五十嵐」
「『娘さんを僕にください』ってフレーズ、違和感ないか?」
「あるな」
「なぜだと思う?」
「所有権を主張しているからだ」
「所有権?」
「『娘さんを僕にください』というフレーズには、『ご両親がお持ちの娘さんを僕に譲ってください』というニュアンスが含まれている。つまり、娘さんを所有物として扱っているんだ」
「失礼だな!」
「まったくだ。モノ扱いしている。歪んだ価値観だ」
「別の言い方にすべきだな!」
「そうだな」
「代案を考えよう!」
「そうしよう」
「……」
「……」
「…松尾。こんなフレーズはどうだ?」
「どんなフレーズだ?」
『娘さんに僕をあげます』
「いらん」
「なにぃ!?」
「ご両親が困惑するだけだ」
「ダメか? 謙虚でいいと思うんだが」
「謙虚すぎて自分をモノ扱いしている」
「しまった…!」
「本末転倒だ。五十嵐はモノではない。尊重すべき人間なんだ」
「松尾…」
「自分を粗末にするな。君はかけがえのない存在だ」
「松尾…!」
「自信を持て五十嵐。そして…」
「松尾ぉ!」
「さっさと別案を考えろ」
「オッケイ!!」
「……」
「……」
「松尾」
「なんだ」
「『娘さんを幸せにします』はダメなのか?」
「ベストではない。そのフレーズの根本には男性優位の思想がある。『男が女を幸せにする』という考え方だ」
「なるほど」
「女性を対等に見ていない。前時代的な価値観だ」
「やめておこう!」
「だな」
「……」
「……」
「…松尾。このフレーズならどうだ?」
「どんなフレーズだ?」
『娘さんが幸せになるそうです』
「他人事すぎる」
「すぎるかー」
「当事者意識がない。無責任な男に見えるぞ」
「それはマズイ!」
「……」
「……」
「五十嵐。『娘さんが~』の言い回しに囚われてないか?」
「…かもしれん」
「もっと柔軟に考えてはどうだ。結婚の挨拶にフォーマットはない」
「そうか! じゃあ……このフレーズはどうだ?」
『お義父さん、お義母さん。私は、家族というオーケストラで最高のシンフォニーを奏でます。ぜひ、娘さんの指揮者として認めてください』
「鼻につくな。とても」
「キマってないか!」
「キマってない。いけ好かない。気に食わない」
「そんなにかー」
「上手い例えを言おうとするな。ストレートに気持ちを伝えるんだ」
「わかった! ストレートだな!」
「ああ」
「ならこのフレーズをくらえ!」
『お義父さん、お義母さん。娘さんと結婚させてください。スマホの家族割を使いたいんです』
「クソ野郎だな」
「ストレートだろ?」
「ストレートに嫌な奴だ。両親に嫌われること間違いなし」
「それは避けたい!」
「ならまっとうな挨拶にすべきだな」
「まっとうってなんだ?」
「まっとうとは、まともで常識的なことだ」
「常識ってなんだ?」
「社会のルールだ」
「ルールブックはあるのか?」
「ない」
「ルールブックがないルールを守れというのか?」
「……おかしいな。それは」
「だろう!」
「常識の定義を明文化した規則はない。常識は世間の共通認識だ」
「ぼんやりしてるな!」
「そうだ。しかもその認識は時代に応じて変化する。にもかかわらず、我々はそのあいまいなルールをしっかり把握するよう迫られる。なぜなら、それがまっとうだから」
「しんどくないか?」
「ああ。だがやらねばならない。共通認識に従えという同調圧力があるから」
「息苦しいな…」
「まったくだ…」
「……」
「……」
「…そう考えると、結婚の挨拶も同調圧力の影響じゃないか? 挨拶しないとまっとうじゃないと思われるから」
「確かに」
「そもそも両親の許可は必要なのか? 当人同士の問題だろ?」
「許可は要らないな」
「だよな!」
「でも報告はアリだ」
「報告?」
「『結婚させてください』という許可取りは不要だが、『結婚します』という報告はあってもいい」
「それはそうだな! めでたいことだし!」
「そこで考えたのだが、こんなフレーズはどうだろう」
『娘さんと一緒に幸せになります』

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