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おじさんとお兄さんの違いはなんだと思う?

「おい松尾」
「どうした五十嵐」
「おじさんとお兄さんの違いはなんだと思う?」
「興味深い設問だな」
「だろう! センター試験の問題になったらしいぞ!」
「嘘だな」
「嘘だ」
「それで、なぜ両者の違いを知りたいんだ?」
「思い込みを防ぐためだ!」
「思い込み?」
「俺もおじさんと呼ばれる日が来るだろう」
「いずれな」
「その時、おじさんと自覚していればダメージはない。だが自分をお兄さんだと思っていたら?」
「ダメージは計り知れない…」
「そうだ。致命傷になる」
「身の毛もよだつ話だ」
「だからおじさんの基準を知りたいんだ。おじさんなのにお兄さんと思い込まないように!」
「理解した。そして盲点だった。新たな視点の提供に感謝する」
「どういたしまして!」
「だが難問だな。年齢で判断するのがベターに思えるが…」
「違うのか?」
「若々しい30代もいるし、老けた20代もいる」
「なら見た目で判断してはどうだ?」
「見た目は主観による。大学生からはお兄さんに見える人も、小学生からはおじさんに見える場合もある」
「確かに!」
「明確な指標があれば良いのだが…」
「……」
「……」
「…松尾。俺は気づいたぞ」
「なんだ?」
「自分がおじさんか気にする時点で、おじさんっぽくないか?」
「…真理だ」
「だろう! お兄さんなら自分がおじさんか疑ったりしない!」
「同感だ。おじさんの基準は自意識ということだな」
「だな!」
「つまりデカルトだ」
「そうだ! ……どういうことだ!?」
「我思う、ゆえに我あり。哲学者デカルトの言葉だ」
「聞いたことあるな!」
「これをおじの定義に置き換えるとこうなる」
『おじ思う、ゆえにおじあり』
「う~ん… ちょっと分かりづらくないか?」
「なら俳句にしよう」
『おじさんか? 気にする時点で もうおじさん』
「分かりやすい!」
「決まったな。これをおじ判定の基準にしよう」
「異議なし!」
「ところで五十嵐。『金の斧銀の斧』を知っているか?」
「知ってるが…なぜだ?」
「あの童話の現代版でこんな話がある。『金のおじさん銀のおじさん』」
「なんだそれは!!」
「あらすじはこうだ。昔々、あるところに木こりがいました。木こりはおじさんに木を切らせていました」
「…おじさんを雇ってるのか?」
「ある日、おじさんが泉に落ちました。おじさんは泡を吹きながら沈んでいきました。木こりは途方に暮れます」
「助けないのか!?」
「すると泉から女神が現れ木こりに尋ねました」
『落ちたのは金のおじさんですか? それとも銀のおじさんですか?』
「そんなおじさんいるのか??」
「木こりはいいえと答えます。すると女神が別の質問をしました」
『落ちたのはおじさんですか? それともお兄さんですか?』
「む?」
「木こりは答えます」
『落ちたのはただのおじさんです』
『…間違いありませんか?』
『はい』
『おじさんでいいんですか? 老害ですよ? 自分の意見に固執し、新しきを受け入れず、過去を美化して今を見ない。そんな輩ですよ?』
『違います。確かにそういうおじさんもいますが、私のおじさんは未来に希望を持っています』
『……』
『謙虚で、親しみやすく、努力を怠らない。そんな人です。女神様、そんなおじさんもいるんです』
『……』
『おじさんの背中には無数の物語が刻まれています。その教訓を持って人々を導くのがおじさんです。私はそう思いたい』
「木こりの言葉に胸を打たれた女神は、泉に沈んだおじさんを蘇らせました。そして木こりとおじさんは幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
「……」
「……」
「松尾。俺は感動したぞ」
「そうか」
「おじさんになることをポジティブに捉えることにした。悪いことばかりじゃないよな」
「そうだな」
「ありがとう松尾!」

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