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私がホス狂を卒業できた理由



「私は10代、歌舞伎のホス狂でした」


なりたくてなったわけじゃないんです。
気づいたら、なってたんです。
ある意味の「洗脳」に近かったと思います。

私の元担のこと、今思うと、好きじゃなかった。
だけど、たくさん褒めてくれた。
住まいを用意してくれた。
仕事を用意してくれた。
私のカラダを必要とした男たちからのお金を使って寂しさを紛らわせてた。
そこに"価値"があると思っていました。
なりより、大切にしてくれました。
「〇〇(歌舞伎での私の名前)は特別だよ」って、ずっと、言ってくれてた。

管理売春だったから、性購買者は選べない。
だけど、
どんなクソ客にあっても、
私は空っぽだから、なにも感じない。
ただ、男が欲してる"女の子"を演じて、
天井を見上げて⋯
指定された時間にお金を持って、
ホストクラブの扉を開ければ、
待っている言葉は
「おかえり」
私はその、「おかえり」がただ、欲しかった。
これまで、家庭で、親に
「おかえり」を言われたことがなかったから。
ホストクラブは「家族みたい」って思ってました。

なのに、今くらいの季節に、夜の街を歩きながら
「次の男が殺してくれないかな。」
そんなことを思ってました。
肌寒いと、孤独感って増すんです。
だから、
今の季節からはいつも以上に
夜の街の女の子たちの表情や歩き方を気にかけながら、声をかけています。


「どうやってホス狂から抜け出したのですか?」


私は今、いろんな支援者から多く聞かれる質問があります。
「どうやって、ホス狂から抜け出したのですか?」
その答えはまだ見つからないけれど、
1つだけ言えることは
『人との出逢い』
だということてす。

私は制度ではなく、人に支えられ生かされています。
児相が保護する前に保護してくれた人がいた。
否定せず話を聴いてくれた人がいた。
駆けつけてくれた人がいた。
1つの人じゃなくて、
私にはたくさんの人たちがいた。
その人たちに共通することは
『私の生きることを信じてた』
『私を大切にしてくれた』

自傷、OD、自殺未遂をしていた私。
「死にたい」とだけしか言えなかった。
だけど、『生きる』を信じてくれていたんです。
私の言葉を否定しなかったんです。
押し付けもしなかった。
ただ、一緒にご飯を食べて、話を聴いてくれた。
絶望だったけど、
連絡することができたのは
そのいろんな「出逢い」があったからだと思います。

最近はかつてお世話になった人と、私とで、
動くことがあります。
みんな、嬉しそうに
「あらぁー!!!!✨」
「立派になって✨」って言ってくれています。

ちょっぴり照れるけど、
名前はフルネームで、
一緒に過ごした時間のことを
私より覚えてくれてることがすごく嬉しいんです。
「〇〇さんと出逢えたから、ここにいるよ」って。

そうやって、私はいろんな人に生かされています。

私も、かつて支えてもらった人たちのように。
なにもできないかも知れないけど、できることを。
出逢った女の子たちの生きるを信じる人でありたいなと思います。
それが、"此処ではない場所"を知れる、
生きられるきっかけになるかもしれないから。
「あなた大切な存在なんだよ」って、
みんなに思いながら、一緒に過ごしています。

ホス狂だった私と、今の私


こんな社会を生きているあなたはエライ。
それだけでいい。
でも、ホストじゃなくても「大切にされる」って実感があれば行かなかったし。
制度は使えなかったから、担当しかいなかったんよね。
ほんと、大人たちって、担当を悪者にするけど、
私からすれば担当が救いだった。
仕事、スマホ、住まい。
すべてをすぐに解決してくれて、まぢで神だった。
でも、私、担当と結婚してないよ笑
違う意味で、歌舞伎にはいるけど⋯
彼には彼なりの理由があって、ホストやってて。
私は私なりに、こっちで生きている。
規制したって、地下に潜るだけだし、
社会が私を否定しないで、大人の考えを押し付けないでくれたら。
押し付けじゃない「大切にされる」があったら、いいのにね。

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