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私の生きた、消えない証

半袖を着たある日

最近は半袖を着ることが増えてきた。
夏はもうすぐ。

半袖、厚底サンダル

私はふと、気づいた。
リストカットの跡がわかることを。



傷つけられるところは切り刻んだ


切れる場所はすべて切った。
顔、首、二の腕、手首、太もも、足首…
20歳頃までリストカットがやめられなかった私。

家庭、親に縛られていた10代。
”父親とおんなじ血が流れているのが気持ち悪い”
”親のカケラを少しでもなくしたい”
そんなことを想って切り刻んだ。
気づいたら朝になっていたこともあった。

性買売の当事者、性的搾取されていたとき。
”誰か気づいて”
”泣けない”

”助けて”って、言葉にできないから、切り刻んだ。

リストカットに依存した私にとってカッターは「お守り」
すぐ、切れるっていう安心感は安定剤代わりにもなっていたから。
「リストカット」で私は生き延びれたのかもしれない。

なんで、やめられたのか?

リストカットをはじめてから
もうすぐ、10年が経とうとしている。
やめてから、まだ数年しか経ってない。

「なんでやめられたのか?」
たまに聞かれるこの問いの答えは
まだまだ言葉にならないけれど、一つだけ言えることがある。
”私はもう、独りぼっちではない”ということ。

もちろん、あのとき切り刻んだ跡は今も消えていないし、
”消えなくていいかな”と思っている。
生きてるか死んでるかすらもわからなくて、感情もわからない。
そんなときを生きた証になっているから。
この傷を見て、なんか言ってくる人、思う人はそれでいい。
私は「かわいそう」ではないし、そんな目で見られるのが正直、だるい。


いろいろ書いたけど、
今年の夏は傷を気にするんじゃなくて、おしゃれを楽しみたいなと思っている。
たった一度の2023年の夏なんだから。

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