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14歳、あの日からのこと 私は人見知りの女の子だった。 人の視線が怖くて、前髪で目は隠してた。 私が書く字は小さかった。 「生きててごめんなさい」 「死にたい」 そんな女の子が14歳、裸足で逃げ出したあの日からのこと。 「再解釈」 19歳のとき、「性を買われる」という同じ経験をした人に出会い、手紙を渡された。 その時は再会できるとは思ってなかった。 連絡先は交換できなくて、 残ったのはその手紙。 ずっと、"宝物"として持ち歩いてた。 そして、私はその人に再会することがで
これまで伝えてきたこと2021年から現在まで私はさまざまな取材を受けてきました。 なかには、名前を出さず、記事になったものも数多くあります。 ここでは「希咲未來」の名前を出し、形になったものをまとめました。 メディア新聞掲載 毎日新聞 「私は非行少女なの?逃げてきた彼女が受けた保護とは」(上) 2021年5月29日 「私は非行少女?家で耐えればよかったの」(下) 2021年7月8日 西日本新聞 「生きるために夜の街に逃げ込んだのに…貼られた「非行少女」のレッテル202
深夜の帰り道、みたニュース 私は日々、心が傷だらけのこどもたちと共に時間を過ごしている。 そんな日常で、深夜になった帰り道にこのニュースをみた。 死にたい、消えたい、でも、死ねなかった 私がたぶん、はじめて言語化できた感情はー死にたいーだった。 親からは暴力ふるわれるし、学校ではいじめられてる。 だけど、その”現実”は言葉にできなかった。 家庭や学校という名の「地獄」以外の場所があるとは知らなかった。 というか、興味がなかったのかな。 地獄以外の場所に行けるとは思ってな
今年もまた。 スマホの日付が今年もまた、「8月31日」になった。 少し前からこの声をいつもより多くSNSで見かけるようになった。 私はこの声を言わせてしまう社会に憤りを感じる。 学校に行かなかった、行けなかった私 私は「学校」という場所に良いイメージはない。 いじめられてたし、先生は親の味方だし・・・ 私、親のいる場所では死んだように生きていたから。 どこにも居場所はなくて、家出をした。 自然と学校にも行かなくなった。 高校は大人の都合で中退した。 学校に行かなかっ
誕生日は一番死にたい日だったいままでずっと、誕生日は 「この日に産まれなければよかった。」 「産まれてきてごめんなさい。」って思う日だった。 一年で一番死にたい日だった。 今年の私の誕生日日付が変わった瞬間から、たくさんの仲間たちから「おめでとう」って言われました。 起きて、たくさんの「おめでとう」って連絡がきました。 私をたくさんの人に繋げてくれた大切な仲間から 「おめでとう」って、電話きてびっくりしてw 私が「姐さん」って思ってる大切な仲間が 私がいままでで行ったこ
「死にたい」って言われたらどうしたらいいと思いますか?
減らない虐待死 虐待死が一番多い年齢は 「0歳0ヶ月0日」 一番多い加害者は 「実母」 この意味分かるだろうか…? どこにも、誰にも相談できず、 誰にも気づかれず、約10ヶ月間を過ごし、 たった独りで産み、加害者になった彼女たちがいる。
どんなに、"助けて"とつぶやいても、 気づいてくれたのは、 身体目的の男たちだけだった。 10代は親がいなければなにもできない。 だけど、 その親が私にはいなかった。 いまでも、連絡先を知らない。 支援はどこにも繋がれなかった。 「児童養護施設や里親ではないから。」 あの時の私は どんどん闇に墜ちていってたと思う。 そこが"最後のセーフティーネット"だったし、 生きてくためには身体を売るしかなかった。 でも、いまの私は伝えることができる。 声をあげ