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note始めてみよう。

以前からnoteの存在は知っていて読む専門だったけれど「君って変わってるよね」と言われてばかりいる私が25歳の誕生日を迎えたくぎりに、一度自分を整理してみようかな…とふと思い文章を書いてみることにした。

▼自己紹介
・名前の由来
・小さい頃から今までのこと

▼どうしてnoteを書く側に?
・きっかけ
・これから書きたいこと

【自己紹介】
カレーをルーから作る人しか恐らく入れないであろう”ナツメグ”。塩や砂糖が普通だとするとマイナーな調味料の1つで取り扱っている場所は限られているしコンビニでは売ってない。
小さい頃は「変な子」と言われ社会人となってからも「変わってるよね」と言われ24歳でフリーランスとなったときには「何を考えているのか分からない」と家族にも言われ普通じゃない分類に分けられる私にぴったりなのでは?と直感で思いつき平仮名で”なつめぐ”にした。

「変な子」と言われることの方が多く悩んでいた10代の頃パニック障害となり、症状が出るのが怖くてたまらなくて家に引きこもっていた時期もあった。明日が来ないでほしいと願った日々も何度も何度も数えきれないくらいあるし、今も季節の変わり目は症状が強くでたり、急に涙が止まらなくなったり眠れなくて薬に頼ることもある。

家族の影響で表舞台に立つことを夢に見ていた幼少期。幼稚園と小学校の卒業文集で将来の夢は「アイドル、モデル」と書いていたし小学校1年生の授業参観で「アイドルになる」とクラス全員の前で発表したのを今でも鮮明に覚えている。
きっとこの頃から日常と違う物への憧れがすごく強かったのだと思う。

そんな私はいまフリーランスで秘書をしている25歳。社会人6年目。

一般的に考えれば普通じゃない25年を生きてきた私と反対に年の離れた姉はまっすぐな道を歩んでいる。幼い頃から親の望むレールを歩んでいる姉がいなかったら恐らく私の人生は全く違うものになっていた。「2人目ってこんなに違うんだ」と悔やんだことも何度もあったけれど今は姉のことを尊敬している。姉のことが大好きだから誰よりも幸せになってほしいと心から思っているし、お互いの誕生日をお祝いしたり2人きりで旅行へも行く家族の中で1番大事な存在だ。

母は今も現役バリバリで仕事をしているキャリアウーマン。恐らく私よりも働いている。24時間仕事のことを考えているのだろうなと母を見るたびに感じるけれど、仕事が大好きでたまらないと分かる。会社で2番手のポジションでいることがその証だと私は思う。

父は気がついたらいなかった。小さい頃から母と姉にべったりだった私は家に父がいてもほとんど話をしなかったし父もどう接していいのか分からなかったのだと思う。当時は詳しく知らなかったけれど私が小学生の頃に父は職を失い、ギャンブルにハマり家族貯金を使い果たしたらしい。母は「我慢できない」と離婚届を置いて私と姉を連れて家を出た。だから父との思い出がほとんどない。20歳の時に「振袖見せてあげたら?」と母から急に父の連絡先を渡されてから誕生日とお正月にだけ連絡を取り、お正月だけ姉と共に実家へ足を運ぶが話す内容がなさすぎて困るくらい父とは距離があるし、大人になってから出会った人には「父はいない」と伝えるくらい私にとっては遠い存在だ。

【読む側から書く側へ】
25回目の誕生日を迎え10代の頃に描いていた形とは全く違う毎日を過ごしている中で、一度自分の人生を整理したくなった。
だから表舞台に立つことを夢見ていた幼少期のことはもちろん理想と現実に苦しみパニック障害となった学生時代や社会人として働きはじめてからのこと、約2年間副業として夜の世界で働いていたことも全部書こうと思っているし、なぜそんな私がフリーランスとなったのかも書こうと思っている。書き終わったとき「何か変」と言われモヤモヤした25年間をそれでいいんだよ、よかったんだよ。と私自身が受け入れられているといいなと思う。










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