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政治についてまじめに考えてみた⑧ 石丸伸二考その八

最近、いじめの法的な定義が変わってきていまして、相手が嫌な思いをしたらいじめだ、と随分拡大解釈されるようになっています。
例えばクラスで発表して間違ってクラスメイトから笑われて、本人が嫌な思いをしたら法的にはいじめです。授業中に騒いでいて周囲から注意され、騒いでいた本人が嫌な思いをしたと言い出したらいじめ認定されます。

こんなに何でもかんでも「いじめ」となったら、人間関係はどれだけギクシャクするのだろうかと、さらには子どもたちはどんどんストレスに弱くなるのではないかと心配になります。
既にその兆候は出始めていて、すぐに「◯◯ハラ」と命名してしまう今の社会風潮からして、ストレスに弱い現代人の傾向が顕著に出ている気がします(私の文章などマルハラの典型ですね(笑))。

さて、石丸氏をパワハラ的であると非難する声が上がりました。選挙特番後のメディア対応、特に某アイドルさんとのやり取りなどがその典型例として挙げられるようです。
しかしハラスメントとは基本的に力のあるものが力のないものに対して、権力を利用して不当な扱いを行うことを指すと思われますが、石丸氏の行為をパワハラと認定するにはメディアと政治家のどちらに権力があるか、ということが問題となるわけです。
もちろん報道規制であるとか放送前、報道前の圧力といった観点では政治家ですが、少なくともカメラが回っている場においてはメディアの方が圧倒的に権力があります。ましてや選挙速報の特番という場においては都知事選に落選した石丸氏はメディアに対して無力な一般人です。

そこで「嬉しかったですか?」とか「都政と国政を混同していませんか?」などという心無い一言を投げつけるのは、完全にいじめと同じです。
それに対して憮然とした表情をしたり、少し強い口調で言葉を返したりするというのは、言ってみればいじめられっ子がいじめっ子に反撃をしたのと同じ図式で、例えばそれがクラスの代表を決める選挙に落選した一人の生徒にいじめっ子が絡んできた場面を想像していただけると良いのではないかと思います。
いじめっ子が落選したのなんだのと揶揄してきたのに対して、「うるさい黙れ、お前なんか出馬もしなかったくせに」と言った瞬間に、いじめっ子が「俺は今、嫌な思いをした。お前がしたのはいじめだ。お前はやはりクラスの代表にふさわしくない」と述べるのと同じことで、ではこれは本当にいじめ認定されるべき事案か、ということが問題となるわけです。法的にはいじめでも、社会通念的にはいじめには当たらないはずです。

もちろん石丸氏は自分がいじめられたとか攻撃されたなどとは微塵も感じていないでしょうし、「あぁ、またメディアのどうしようもない質問が始まった」くらいにしか考えていないでしょう。
自分のプライドが傷つけられたとかそんな低い次元で物事を見ていないとは思っていますが、パワーのあるメディアに対してパワーで押し返すのがパワハラなら、メディアはパワハラし放題ではないかと思います。
撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけ、という小説のセリフがありますが、メディアサイドに立つ人間にも同じことが言えるのではないかと思います(石丸氏が都知事選前にテレビカメラに向かって自分のライブ配信カメラを向けたところ、映されたカメラマン側に変な緊張感が走った映像がありました。つまり普段のメディアは自分たちの安全地帯から鉄砲を撃っているのだなと実感しました)


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