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政治についてまじめに考えてみた⑦ 石丸伸二考その七

学校の教員などというものをしていると、手段と目的の転倒という現場によく出くわします。
例えば漢字の練習などがその最たるものですが、あれは漢字が書けるようになるまで練習することが目的であって、例えば5回とか回数を書くことは「漢字を書けるようになる」という目的のための手段に過ぎません 。5回書かなくても書けるようになったのならそこで練習を止めればいいし、逆に5回書いても覚えられないのであれば10回でも20回でも書く、あるいは「書く」以外の手法を使って書けるようにするべきなのです。
割と女子が陥りがちな(というと男女差別と言われるのでしょうか。でも事実だから仕方がない)「ノートをきれいにまとめる」みたいなものも目的と手段の主客転倒の一例です。

政治家の多くはポジションにつくことが目的化しがちで、議員になりたいとか国政大臣のポストが欲しいとか、でもそれって手段ですよね、と私なんかは思うわけです。
そもそも政治家になる目的は、「日本を良くしたい」という個人的な思いに根ざしているはずで、別に大臣でなくても、議員でなくても、日本を良くする方法というのは世の中にごまんとあふれているはずです。もちろん日本は法治国家なので、立法府である議員さんになるのが一見すると近道ではありますが、ただ、本人の資質や世間の有り様によっては議員さんになるよりも一般企業の社長さんになったほうが良い場合なども当然出てきます。

ちょっと脇道にそれますが、これはこれまでの日本のキャリア教育が不十分だったということにも起因しています。皆さんもよく、「将来何になりたい?」という問い掛けをされたのではないかと思います。ここでいう「何になる」はもちろん職業を指しているのが一般的で、無意識的に職業がゴールになるような刷り込みがなされているわけです。
これからのキャリア教育という観点で言えば、「何になりたい?」よりも「何をしたい?」「自分のどんな強みを活かしたい?」という問いが発せられることを願ってやみません。

閑話休題。
と、そんな世の中の流れに逆らうかのように、政治家になることを完全に手段と捉えている一人の変態が現れました。
そうです、石丸伸二さんです。
都知事選前にも「投票率が上がらなければ政治家以外の道を模索する」というような発言がありました。たぶんどこかのSNSを漁れば出てくるかと思います。つまり石丸さんにとって政治家とは目的を早期に達成するための手段の一つに過ぎず、その中でも最短距離が都知事だった、とそれだけのことに過ぎないのです。

このままでは日本は少子高齢化の波に飲まれて駄目になる。その波を少しでも小さくして時間を稼ぎ、その間に日本を良くする策をみんなで考える。そのためには国民がもっと政治に興味を持つ必要があるし、そのためなら別に自分が叩かれようと悪者になろうと構わない。
それが石丸さんの描いている青写真だと捉えていて、メディアや知識人、文化人と呼ばれる方々はどうしてそこが分からないのか、それとも既得権益を守るためにあえて分からないふりをしているのか、いずれにせよ、たいへんもどかしい思いでおります。

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