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神様ではないのだから

「私は蕎麦屋です。とても脚が速くて100mを10秒で走れます。それなのにお店は全然流行りません」
「私はお笑い芸人です。動物が好きで家では10匹も犬を飼っています。それなのに全然売れません」

お蕎麦屋さんやお笑い芸人に必要なのは、脚力でも動物愛護の精神でもありません。蕎麦をうまく打つ技術やお店を経営する力、お客さんが楽しめるネタを考えるアイデアやそれを表現する力が必要なのであって、たとえ一芸に秀でていようと職業に関係しないのだとしたら、宝の持ち腐れとまでは言いませんが、「それがどうした?」という世界です。

「私は蕎麦屋です。お店はたいへん繁盛していますが、息子は大学入試に5年も連続で失敗しています」
「私はお笑い芸人です。ライブはいつも満席ですが、実は水虫です」

これまた「それで?」の世界です。
息子さんが五浪していようと水虫であろうと、美味しい蕎麦や笑いを提供してくれるのであれば、その恩恵を享受している我々には正直なところ無関係な話です。

この半年ほど、政治資金パーティーのことが話題になっていますが、お金を受け取ったとか懐に入れたとか、正直なところ、それはどちらでも良いのです。国家のため、国民のために汗を流して良い国家、幸せな国民生活を実現してくれるのであれば、不倫をしていようが裏金を作っていようが、二世議員であろうが、そんなことは些末なことだと思うのです。
世の中にいる大半の人は聖人君子でも神様でもないのだから、至らないところ、弱いところ、だめなところは数多くあるはずです。それを寄って集って責めたり打ったりするから、日本の政治家はどんどん小者化しているのではないでしょうか。
もちろん愛人やパーティーの出席者(あるいはチケットの購入者)にだけ利益を供与するとか、大した能力も志もない息子や娘に地盤を引き継がせるとか、そういう阿漕な輩には早々に退場願いたいとは思いますが。

ちなみに野党サイドは「裏金疑惑追求!」と息巻いていますが、立法府にありながら裏金を受け取れるような状態をそのままにしてきた(法整備をしてこなかった)自分たちの責任には一切触れないのか、とも思っています(ここで「我々にも立法府として至らないこところがあった。その点は国民に申し訳ない」と頭を下げる政党がでてくれば支持率は爆上がりだと思いますが…)。
したり顔で報道をするマスコミも同じです。事が起きてからそれを伝えるなんて、小学生の壁新聞でもできることです。事が起きる前に法整備をしない議員センセイたちの尻を叩くことこそマスメディアに課された使命ではないか(そういうマスコミの姿勢がよりよい国を作るのではないか)と思いますが、その辺りのところ、いかがなものでしょうか。

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