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政治についてまじめに考えてみた⑨ 石丸伸二考その九

言わずもがな、現代は情報化社会です。
一説によると現代人が1日で取得する情報量は、江戸時代の人の1年分、平安時代の人の一生分なのだそうです。確かに平安時代の人は随分とゆったりとした生活を送っているような印象です。
単に情報量が多いとか少ないとか、その程度の話で済めばよいのですが、現代人が接している情報量というのは人間の脳のキャパシティを大幅に超過していて、実に94%の情報は忘れ去られていくのだそうです。
確かに最近、とみに物忘れが激しくなってきた自覚が出始めました。が、これは情報量が多すぎるからであって決して自分の脳の劣化のせいではないと毎日言い聞かせております。

閑話休題。
おまけにグローバル化が進み、個人の価値観の多様化もどんどんと進行してますます情報化に拍車をかけています。個人でできることには限界が来ている、これが現代社会の特徴だと私は捉えています。

そんな多様化が進む現代社会ですので、当然一人ひとりの役割も、そして組織も20世紀からは大きく様変わりしなければなりません。
つまり一人の優秀な組織長がいて、その長が隅々まで目を光らせていれば組織が成長できたのが20世紀、個人の力では限界が来ていることは明らかなので、正確な情報を得ることと、その情報に基づく意思決定及び大方針を定めることが組織長に求められているのが21世紀ということです。

よくある石丸氏批判に「政策がない」というのがありますが、これはまったく的外れです。
まず、そもそもからして「政策」とは大方針であってその大方針を具体化するのが「施策」であり「事業」であるのです。石丸氏の批判者はこの「政策」と「施策」の区別がついていないことが非常に多い。
更に東京都が実施している「施策」はどれだけあるのか分かりませんが、その「施策」や「事業」の一つ一つを都知事自ら設計して実現していくなんてことをやっていたら、体がいくつあっても足りません。あくまで都知事の役割は「政策」を示すことであって「施策」を考えるのは現場の仕事です。
もちろん都知事肝入りの「施策」というものもあるでしょうから、何から何まで都知事が「施策」にタッチしてはならない、とまでは言いません。が、どう控えめに考えても「施策」の立案と設計の大半は職員の役割です。
そもそも石丸氏は「政治屋の一掃」「都政の見える化」「教育への投資」「多摩地区など23区外と23区の不均衡是正」という立派な政策を打ち立てています。都政に直接携わっていない人間がこれ以上のことを言うならば、その人物は無責任との謗りを免れないでしょう。何しろ実態が分かっていないのに自分の頭の中だけで「施策」を述べているのですから。
10年ほど前に民主党政権が誕生し、「埋蔵金発掘」を公約に掲げていましたが、結局埋蔵金などというものはどこにもなかったことが明らかになって見事公約違反となりました。
これって明らかに「実情がよく分かっていないのに施策を語った」ことによる典型的な失敗例です。

百歩譲って「施策を語れる人間こそ都知事にふさわしい」のだとしたら、立候補できるのは現職か、都の職員か、都議会議員、もしくは実現できるかもよく分からない施策を掲げられるペテン師だけということになります。

出来るかどうかよくわからない施策を公約に掲げて当選を目指す(3位の方は選挙の最終盤に「明治外苑再開発に関する住民投票をします!」と追加公約に掲げていらっしゃいましたが、全都民の住民投票なんてやっていたら50億円ほどの費用が発生するようですが…やりますか?50億あるなら他のことに使ったほうがよほど建設的です)のが「是」で、「出来るかどうか分からないところは公約にせずに全体の方針だけを示す」のが「非」なのだとしたら、それこそ批判者の方々が大好きなポピュリズムではないか、と思わずにはいられません。

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